第39回庭野平和賞 南アフリカの聖公会司祭 マイケル・ラプスレー師に
「記憶の癒し」ワークショップを国内外で 苦しみに耳を傾け、和解と希望をもたらす
91年、アパルトヘイト関連法が廃止され、翌年、ラプスレー師は南アフリカに戻り、ケープタウン教区司祭に就任した(現在に至る)。93年に「暴力と拷問の被害者のためのトラウマ治療センター」(後に「暴力と拷問からの生存者のためのトラウマ治療センター」に改称)のチャプレンとなり、アパルトヘイト下での暴力や肉親の死などで傷ついた人々の体験、苦しみ、悲しみ、怒りなどに耳を傾ける「記憶の癒し」ワークショップを構想し、各地で取り組んだ。
ラプスレー師は著書『記憶の癒しーーアパルトヘイトとの闘いから世界へ』の中で、「南アフリカに帰国して最初に感じたのは、私たちが傷ついた国民だということだ。(中略)アパルトヘイト時代を経験した者全員が語るべき物語を持っているのだ。もし私たちが内面の問題に取り組まなかったら、社会は殺伐としたものになるだろう」と述べている。また、癒しのワークで試みているのは「過去の縛(いまし)めを解くこと」であり、暴力から生き残った人に提供するのは「彼らの体験を語る機会であり、それを認められ、払った犠牲や苦しみが尊重される機会である」とつづっている。
98年、ラプスレー師はこの取り組みをさらに進めるため、「記憶の癒し研究所」を設立。その活動は、抑圧を受けた人々の記憶だけでなく、加害者側にも記憶と向き合うことを促して癒しを与え、相互の記憶を共有することで和解や希望をもたらしてきた。活動は国内にとどまらず、過去に対立や分断が生じた地から招きを受け、ルワンダや北アイルランド、米国など各国で行われた。人種や宗教、文化の違いを超えて多くの人を癒してきた。
現在、聖公会司祭で、「記憶の癒しグローバルネットワーク」会長を務める。故ネルソン・マンデラ元大統領、昨年末に逝去したデズモンド・ツツ名誉大主教とは盟友である。
庭野平和賞委員会は、ラプスレー師の福音に基づく社会正義を求める精神性と行動力、さらに人々の苦しみに寄り添い、癒しと和解をもたらしてきた功績を高く評価し、受賞者に決定した。
アパルトヘイト(人種隔離政策)
南アフリカで1948年から行われた、多数を占める非白人を差別する法制度。白人だけで政治を行い、富を独占する一方、非白人は居住地区を制限され、最多の黒人は特に不当な扱いを受けた。66年、アパルトヘイトは「人道に対する罪」として国連から非難され、その後、同国に対する文化交流の禁止や経済制裁が提唱された。91年にアパルトヘイト関連法が廃止され、94年の総選挙でネルソン・マンデラ氏が初の黒人大統領に就任した。
一方、国際社会が反アパルトヘイトの動きを強めていた87年、日本は南アフリカの最大貿易相手国(ドル換算)となり、88年の国連総会で批判された。日本人にとっても、忘れてはならない“記憶”を含んでいる。