第39回庭野平和賞 南アフリカの聖公会司祭 マイケル・ラプスレー師に
「第39回庭野平和賞」の受賞者が、南アフリカの聖公会司祭であるマイケル・ラプスレー師(72)に決まった。公益財団法人庭野平和財団(庭野日鑛名誉会長、庭野浩士理事長)が2月21日、京都市のホテルで記者会見を開き、席上、庭野理事長が発表した。同日、ローマでも発表された。
ラプスレー師は司祭となった後、アパルトヘイト(人種隔離)政策の反対運動に身を投じていた時、手紙に仕掛けられた爆弾で両手と右目を失った。これを機に「自由の闘士」から「治癒者」となり、アパルトヘイト下の暴力で傷ついた人々の体験や悲しみに耳を傾けて参加者と共に分かち合う「記憶の癒(いや)し」ワークショップを開始。「記憶の癒し研究所」を設立し、同国のほか各国で社会的不正義や暴力に苦しんできた人々の声を傾聴し、癒しと和解をもたらしてきた。贈呈式は6月14日に行われ、賞状と顕彰メダル、賞金2000万円が贈られる。
アパルトヘイト下の南アフリカへ 「自由の闘士」から「治癒者」へ
庭野平和賞は、宗教協力を通じて世界平和の推進に顕著な功績をあげた個人や団体に贈られる。世界の識者600人が推薦した候補の中から、庭野平和賞委員会の審査を経て選ばれる。
ラプスレー師は1949年、ニュージーランドで生まれた。オーストラリアの神学校に進み、71年に聖使修士会(SSM)に入会。73年にオーストラリア聖公会で司祭となり、アパルトヘイト下の南アフリカに派遣された。
同国で大学のチャプレンに就いたラプスレー師は、政治的抑圧や経済的搾取といった構造的・制度的暴力、さらに警察などからの直接的な暴力に苦しむ黒人たちへの不正義を看過できなかった。黒人学生への差別の実態と、彼らの解放闘争を目にし、反アパルトヘイト運動(解放闘争)に参加。76年に国外追放となった後も、レソトやジンバブエで大学チャプレンや司祭を務めながら、各国で人種差別に反対する人々の意識を啓発し、運動の支援を集めた。
一方、白人であり、キリスト教司祭として反対運動を続けるラプスレー師は、アパルトヘイト政権からは「問題分子」と見られていた。90年、滞在していたジンバブエで、ラプスレー師は手紙に仕掛けられた爆弾によって両手と右目を失い、重度の火傷(やけど)を負った。大きな障害を抱え、それを受容するにはさまざまな経験を必要としたが、この体験を基に「自由の闘士」から「治癒者」ーー「人々を癒すための道具」になることを決意。ちょうどアパルトヘイトが終焉(しゅうえん)し、民主化を迎えようとする時だった。