教皇の説くジャーナリズム――世界を説明し、世界の暗部に光を当てる(海外通信・バチカン支局)

二つ目の動詞「深める」は、ニュースの事実、現実の真相を探ることだという。大量の情報がSNSで流され、それを基に自身の見解を形成している人も多いが、インターネット上に流される情報は往々にして、「(物事の)単純化や対立の論理に支配されている」と指摘。これに対し、良きジャーナリズムは、「起こった出来事を評価できるような状況、これまでの事例、解読の鍵を提供していかなければならない」と訴えた。

第三の動詞である「語る」について、教皇は、「自身の意見を表面に出さず、事実そのものを伝えるように」と述べた。「『語ること』の意味は、自身(の見解)を真っ先に述べること、出来事に関する判断を下すことではなく、出会った出来事に打ちのめされ、時には、傷つけられることを恐れず、読者たちに、謙虚に(事実を)語る」ことだと話した。そうして事実を伝えることは、「多くの“病”に対する解毒剤である」とし、「事実、すなわち起こった出来事、人々の生活、証しだけが報道に値する」のだという。

そのため、記者は事実の伝達に情熱を燃やし、「社会の傷に隠された宝を発見する」ことに努め、人々が「(事実から)衝撃を受け、学び、意識の地平を広げることを可能にするため、また、私たちが知らなかった側面に注意を促すため」に報道し続けることが大切と述べた。文化や宗教の違いから来るアプローチの仕方、スタイル、視点の相違は、情報の世界では豊かさであると教皇は主張する。

最後に、カトリック教会内部の問題について報道する記者たちに謝意を表明。カトリック教会は、「右派や左派を内部に有する政治組織」や「市場の論理によって動く巨大な多国籍企業」ではなく、「皆がそうであるように、罪人である男女によって構成されている」とし、「世界にキリストの言葉を伝え、全ての人を抱擁する神の慈悲の道具となり、今でも生きるキリストとの出会いを可能とするために存在する」と述べ、記者たちに「カトリック教会に関してのさらなる事実認識」を促し、スピーチを結んだ。
(宮平宏・本紙バチカン支局長)