大聖堂で「盂蘭盆会」 庭野会長が法話 行供養の大切さを説く (動画あり)

法話に立った庭野会長。自らのいのちの有り難さを見つめ、行供養として、日常生活での教えの実践を促した

先祖への回向供養を通して、一人ひとりが受け継いだいのちの尊さをかみしめるとともに、自らの生き方を省み、さらなる精進を誓う立正佼成会の「盂蘭盆会(うらぼんえ)」が7月15日、大聖堂(東京・杉並区)で厳修された。新型コロナウイルスの感染予防のため会員は参集せず、式典の模様が会員に向けてオンライン配信された。庭野日鑛会長は法話の中で、それぞれがいのちの有り難さを見つめ、行供養として、仏の教えを実践していくことが大事であると説いた。

光祥次代会長が「回向文」を奏上

式典の冒頭、先祖に思いを馳(は)せ、自身のいのちに感謝を深めるナレーションプログラム「盂蘭盆会」が配信された。続いて読経供養が行われ、導師をつとめた庭野光祥次代会長が戒名を奉読。庭野会長の「回向文」を奏上し、焼香した。

読経供養では、導師をつとめた光祥次代会長が戒名を奉読した

体験説法に立った内田耕市米沢教会長は、自身の父親で、本会の第二代理事長を務めて昨年10月に他界した昌孝氏から人生の指針を学んだことを述懐。庭野日敬開祖の秘書として出張に随行することが多かった昌孝氏の仕事の様子などに触れながら、庭野開祖に帰依し、決めたことは貫き通す「信力堅固(しんりきけんご)」な姿をエピソードを交えて紹介した。また、内田教会長自身が小学生の時に杉並教会の鼓笛隊に入って以来、教会の活動に参加し、社会人になってからもさまざまな「お役」を受けてきたことを報告。そのたびに、父親から「お役に没頭するのは良いことだが、お役のせいにして本業をおろそかにしてはダメだ。お役に夢中になればなるほど仕事や生活も充実させなくてはならない」と諭され、「信仰即生活」の実践を心がけてきたと語った。

平成22年の本部入職後、足利教会長を務めていた時に手首の病気を患ったが、父親のアドバイスを基に「仏説観普賢菩薩行法経」を一心に読誦(どくじゅ)し続けた結果、病気へのとらわれが消えた経験を披歴。回復し、家族やサンガ、いのちを授けてくれた先祖に感謝を深めることができたと話した。現在は米沢教会でオンライン法座の開催やメッセージ動画の配信に取り組んでいることを紹介し、コロナ禍の中でも、思いやりにあふれた教会づくりに尽くすことを誓願した。

この後、庭野会長が登壇し、焼香した。法話に立った庭野会長は、正月の15日を「上元」、10月15日を「下元」として祝うのに対し、7月15日の「中元」は一年の前半の無事を祝って、盂蘭盆会を行い、各家庭で先祖の霊を祀(まつ)り、墓参りをする大切な日と説明。「一度きりの尊い道を今歩いている」という教育者の東井義雄氏の言葉を紹介し、今日は先祖の供養とともに、自らのいのちを深く見つめることが大事と示した。

式典の様子(クリックして動画再生)

また、江戸時代の儒学者、博物学者である貝原益軒の言葉を引用しながら、一人ひとりの体は父母や天地から授かったものであるから、いのちを大切にして健康を保つことが大事であると話した。加えて、体を維持している機能――呼吸や食物の消化といった機能をとっても、自らの意思でなされているものではなく、自然に働いてくれているとして、目に見えない偉大な働きによって、それぞれが今、ここに生かされていると説示。自らのいのちは、「賜ったいのち」であり、「妙法蓮華経序品第一」の「無量百千の諸佛を供養し」の一節を挙げ、いのちに感謝して仏や先祖を供養する大切さを説いた。

さらに、供養には、財物などを捧げる「利供養」、感謝や尊敬の念を捧げる「敬(きょう)供養」、仏の教えを実行する「行供養」があり、その中で仏の本意を生かすことにおいては「行供養」が最も大事であると教示。東井義雄氏に師事した教育者の米田啓祐氏の「くりかえし」という詩を紹介しながら、在家仏教徒として、「自分の体を鼓舞して、修行を続けさせて頂くことが、とても大事だと思います。ご先祖さまに捧げるという意味でも、自分の修行を常に怠らずに、繰り返していくことが大切です」と説いた。

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