3・11 震災から6年を迎えた被災地の声

震災発生時刻を告げるサイレンの中、宮城・山元町の海岸で合掌する人々

3月11日で、東日本大震災から丸6年を迎えた。地震や津波によって甚大な被害を受けた太平洋沿岸の被災地を包括する立正佼成会の各教会では、この日を中心に犠牲者慰霊法要と復興祈願式典を催した。各地の声を紹介する。

【仙台教会】

私が佼成会とのご縁を頂いたのは震災の時でした。津波で浸水し、1階部分が全滅した自宅の瓦礫(がれき)処理作業をしてくださったのが教会の方々だったのです。その後わが家もやっと再建のめどが立ち、皆さんと共に修行させて頂くようになりました。

教えとの出遇(であ)いにより、私の体の中にはご先祖さまから続くいのちが脈々と息づいていること、自分の力ではなく「生かされている」ということを知りました。七回忌にあたり、教会長さんからは、「私たちが生きがいをもって生きることが最大の供養です」とアドバイスを頂きました。震災でつらい思いをされた方たちに、法華経とのご縁を結ばせて頂くことが今の私の生きがいです。瓦礫の中で途方に暮れていた私を支えてくださったサンガのように、私も人さまが救われていく時の力になりたい。亡くなられたたくさんの方たちに思いを寄せ、生かされたいのちを大切に使わせて頂きます。(66歳・男性)

【釜石教会】

法要の中で、亡くなられた家族に宛てて書かれた手紙が読み上げられ、震災当時を思い出しました。無我夢中でとにかく進むしかなかったあの頃、一緒に避難生活をしていたサンガと「私たち“震災家族・きょうだい”だね」と言いながら、手を取り合い、つらい現実を頑張って乗り越えてきました。

復興も徐々に進み、あの時に比べると、笑顔を取り戻す人が増えたと思います。ですが、現実は良いことばかりではありません。公平な支援は難しいのか、本当に必要とする人に行き届かず不自由な暮らしをする人、つらい心の内を明かせずに苦しんでいる人はまだいます。自宅が津波で流された私たち家族も、まだバラバラに暮らしている状況で、今後の生活に不安がないとは言えません。みんなが安心して暮らせるように、“震災家族”として私にできることを精いっぱいやるしかない。そう思っています。(74歳・女性)

【原町教会】

2年ほど前から、原町教会では毎月11日に必ず、各支部ごとに、包括地域内にある慰霊碑を訪ねて、読経供養をさせて頂いています。慰霊碑は自治体が建立したものばかりではありません。中には、地域住民が建てたものもあり、きれいな花が絶えることなく供えられています。きっとここに住む人々が、「忘れないよ」という強い思いを胸に、祈りを捧げているのでしょう。

碑に刻まれた犠牲者の名前を見ると、それぞれの人生が想起されて、胸がいっぱいになります。それとともに、今、ここにある私のいのちを、一日たりとも無駄に生きてはいけないと思わずにはいられません。毎月必ず慰霊碑に足を運び、祈ること。それは、「多くの生きられなかった人々の『いのち』を背負って生きていく」という、残された者に課せられた使命を確認する、私にとって大切な時間です。(67歳・女性)

【平教会】

東日本大震災からはや6年。あの日のことを思うと今でも涙があふれてきます。楢葉町の自宅は半壊し、私の実家も津波で流されました。しかし、それ以上につらかったのが長男(42)を失うかもしれないという切なさでした。福島第一原発に勤める長男は、地震発生直後、私に電話をかけてきて、「大きな津波が来るから絶対に避難するんだよ」と言った後、しばし言葉を詰まらせ、「僕を産んでくれてありがとう。これまで親孝行できなくて申し訳ない。ごめんね」と口にしたのです。瞬時に長男の身に危険が迫っていることを察した私は、その場で泣き崩れました。それから4日後、なんとか無事だった長男と連絡が取れたのですが、その間は生きた心地がしませんでした。

あの震災によって、大勢の人の心が打ちひしがれました。しかし、得難い出会いや触れ合いもたくさんありました。そして、今日こうして生かされている有り難さを強く実感できるのも、この教えとサンガの皆さんのおかげさまだとつくづく実感しています。(65歳・女性)

 

被災地に寄り添う声

震災後、「こころホット」ボランティア(本会の傾聴ボランティア)の一員として、岩手県釜石市にある仮設住宅を訪問させて頂きました。私が出会った方の中には、自宅を津波に流された上に、ご主人が震災後に体調を崩して亡くなった方がおられました。私はその方のつらさ、悲しみに寄り添いたいと、話にじっと耳を傾けました。話す方も私も涙、涙でした。

実は、私は、新潟県中越地震(平成16年)を経験しています。当時、佼成会の道場を地域住民の避難所として開放したので、私も炊き出しや支援物資の受け入れに奔走しました。そうした中で感激したのは、遠くは九州からもボランティアが駆けつけてくれたことです。ですから、東日本大震災が起きた時、「私にできることをさせて頂きたい!」とボランティアへの参加を願い出たのです。また、昨年は、大川小学校の跡地(宮城県)で慰霊供養もさせて頂きました。今年も、犠牲になった方々や被災された方々に思いを寄せ、手を合わせます。(越後川口教会会員・82歳・女性)

◇  ◆  ◇  ◆

『福島を忘れない』を合言葉に、街頭で募金を呼び掛けた(杉並教会)

東日本大震災が発生した直後から、杉並教会壮年部では、毎月11日、被災地から離れた東京に住んでいてもできることはないかと考え、JR高円寺駅前で街頭募金を始めました。今年で7年目を迎えます。これまでに集まった約700万円の義援金は、災害時相互支援協定を結ぶ福島県南相馬市の「みらい夢基金」へ杉並区を通して寄付しています。次世代の育成や地域コミュニティー再生事業に役立てて頂くのが目的です。また、人的貢献もしたいと、毎年7月には、「相馬野馬追」祭りの清掃奉仕に出かけ、地元の方々と交流しています。

毎月の募金活動は、仕事を終えた夜の7時半からです。熱帯夜の日も、凍えるような寒さの中でも続けてこられたのは、「福島を忘れない」の一心です。どうか一日も早く、平穏な生活に戻れるよう祈っております。(杉並教会会員・60歳・男性)
 
関連記事
東日本大震災から6年 被災地で慰霊法要