ローマ教皇フランシスコが路上生活者専用の救急車を導入(バチカン記者室から)

路上生活者専用の救急車を視察、祝福するローマ教皇とクライェフスキ枢機卿(バチカンメディア提供)

ローマ教皇フランシスコは、カトリック教会を、人間の心と身体を癒やす「野営病院である」と称する。

特に貧しい人々――生活困窮者や難民、路上生活者などに対する優先的な配慮を促している。世界のカトリック教会に向けて、「貧者を選択する」方針を説いているのだ。

アルゼンチン出身の教皇は、1960年代に南米大陸で生まれた、貧しい人や抑圧を受けている人の解放を教えの本質とする「解放の神学」の霊性を重視する。バチカン諸機関(クリア・ロマーナ)の中には「教皇慈善活動室」があり、小さい組織だが、教皇が最も愛情を注ぐ機関の一つとされる。同室は20人ほどの聖職者、修道女や一般信徒で構成され、国や市の福祉政策では行き届かない社会の底辺で苦しむ人々に対し、救援活動を展開している。同室の活動は、ローマ教区の助祭、医師、看護師、一般信徒や難民出身者など多くのボランティアによって支えられている。

室長は、ポーランド人のコンラート・クライェフスキ枢機卿。ローマ市内の路上生活者や生活困窮者たちからは、親しみを込めて「コラド神父さん」と呼ばれる。枢機卿のシンボルである緋色(ひいろ)の法服をまとわず、作業着に神父の印であるローマンカラーを首に着けた格好だ。自身で救援物資を積んだトラックを運転し、イタリア国内を奔走する。

昨年5月のこと。ローマ市内で、約100人の子供を含む420人が、使われていない政府機関のビルを占拠し、生活していた。だが、公共料金を滞納したため、市営の配電・水道公社が同ビルの電気と水の供給を止め、電源スイッチとバルブを封印した。

彼らの窮状を知ったコラド神父さんは、ローマ市当局と折衝したが解決には至らなかった。そこで、ビルの地下にある電源スイッチとバルブの封印を解いた。「神父さん、これは違法だよ!」と心配する不法入居者に対し、神父は「5年間もこの建物を不法占拠しているのに、こんなことを心配するのか」と話したという。神父は事に至る以前に、ローマ県庁や同市役所に連絡し、人道的理由を説明。責任の所在を明らかにするため、自らの名刺を電源スイッチの上に残すことも忘れなかった。そして、聖書に倣い、「人が法のためにあるのか、法が人のためにあるのか」と、政治や行政をつかさどる人々に問い掛けたのだ。

法が人間の尊厳性を損なう、あるいは、そうした状況を生み出している時、あくまでも、人間の尊厳を擁護する選択をすべきだろう。教皇慈善活動室について知るローマ検察は、封印を切った容疑者を“匿名”として捜査したが、起訴はしなかった。一方、難民の排斥を訴えて支持率を伸ばしてきたポピュリズム政党「同盟」のマッテオ・サルビーニ書記長が、「教皇の慈善活動家は、30万ユーロにもなる公共料金の滞納分を払え」と発言したのに対し、神父は「私(教皇慈善活動室)が払う」と応じた。

その教皇慈善活動室が6月1日、「路上生活者専用の救急車」を導入した。なぜ「路上生活者専用」なのか。これには、1983年1月31日に、一人の女性の身に起きた悲劇が大きく関係している。

1912年生まれのモデスタ・ヴァレンティさんは、ローマ・テルミニ駅1番ホーム近くの路上で生活していた。イタリア北部トリエステ市の出身で、ローマまで来た理由は定かではない。路上生活者の彼女を支えたのは、カトリック在家運動体の聖エジディオ共同体(本部・ローマ)のメンバーだ。

彼女は、かつての精神科病院での苦しみや、「ローマに教皇がいるので、会いたくて来た」という心情を表し、過去を断片的に語っていた。聖エジディオ共同体のメンバーに引率され、教皇のいるバチカン宮殿に隣接するサンピエトロ広場を訪問した時には、「非常に喜んだ」という。たびたび列車旅行について話す彼女は、故郷のトリエステに帰りたいようだった。

だが、83年1月31日の朝、彼女は寒さに負けて倒れた。通行人たちが彼女を見掛け、救急車を呼んだ。救急車はすぐに到着したが、汚れた衣服の彼女を見た看護師たちは、「汚い、不潔だ、救急車が汚れる」との理由で病院への搬送を拒否した。通行人たちは、市内の複数の病院に電話して救護を要請したが、どの病院も緊急患者が路上生活者だと知ると、対応しようとしなかった。4時間後に別の救急車が来た時には、すでにモデスタさんは息を引き取っていた。

この事件を機に、聖エジディオ共同体は毎年1月31日に彼女を追悼し、社会に路上生活者の救援活動の必要性を訴えている。教皇は、新型コロナウイルスの感染拡大とともに、モデスタさんのような悲劇が増えるのではないかと懸念し、「路上生活者専用の救急車」の導入に踏み切ったのだ。

「貧者を選択する」方針を有する教皇が就任して以来、バチカン周辺には路上生活者専用のシャワーや洗面所、理容室、簡易診療室、宿舎、食料配給所などが次々に造られ、彼らにとっての「安全地帯」となっている。バチカン周辺を警備するイタリアの国家警察も、路上生活者を尋問したり、追い払ったりすることはしなくなった。ローマ市内には現在、8000人から1万人の路上生活者がいると推計されている。
(宮平宏・本紙バチカン支局長)