WCRP/RfP日本委「平和と和解のためのファシリテーター養成セミナー」最終回 水俣病の経緯学ぶ
続いて、水俣市役所元職員で「地元学」の提唱者である吉本哲郎氏と、1994年に行政の立場から水俣病の犠牲者に初めて公式に謝罪した元市長の吉井正澄氏が講演した。
吉本氏は、船同士をロープでつなぐことや共同で作業する「もやい」という言葉を用い、水俣病で分断された地域社会の再生に尽くした「もやい直し」の取り組みを紹介。吉井氏は、水俣病による対立を乗り越え、環境モデル都市として生まれ変わるまでの過程を説明し、「お互いの立場、意見の違いを知ることで新しい考えが生まれる」と述べた。
この後、水俣病患者であり、「水俣病資料館語り部の会」会長の緒方正実氏が、『正直に生きる』をテーマに講演した。
緒方氏は、幼い頃から水俣病を隠して生きてきた葛藤や、38歳の時から10年かけて水俣病の認定を受けるまでの経緯などを詳述。水俣病の認定を得ることは、行政に非を認めさせるためではなく、「水俣病から目を背け、都合のいい人生を生きていた自分自身が病と向き合い、認めるためだった」と振り返った。
その上で、水俣病の背景には、便利さを求めた社会の風潮や世の中の仕組みに要因があったと指摘。「便利で豊かな社会は当たり前ではありません。そのことに気づいていない人も大勢いる。水俣病の経験を糧に、これからも生かされて生きることの大切さを世界に伝えていきたい」と語った。