第35回庭野平和賞贈呈式 庭野日鑛名誉会長 挨拶
世界には、自国の正当性を強調する一方、他の民族や国に対しては批判的で不寛容な教育も存在します。個々の国には、それぞれの歴史・文化があり、それに耳を傾けることが大切であります。不寛容な教育は、結局、不寛容な世界しか生み出さないことを、互いに認識すべきでありましょう。
その点において、「アディアン財団」は、自己と他者との関係、特に多様性ということを、極めて建設的に受けとめておられます。個々人の間、コミュニティーの間の多様性が、豊かさ、相互理解、創造的発展、持続可能な平和に結びついていく――つまり、多様性は「弱み」ではなく、「強み」であることを証明する教育を目指されています。しかも「アディアン財団」は、具体的な教育を、レバノンの教育・高等教育省など公的機関と連携し、教科書を作成し、公式のカリキュラムとして実施しているのであります。大変素晴らしいことであり、深く敬意を表したいと思います。
私たち一人ひとりは、みな独自の個性を持っています。人間は誰でも、相対的に見れば、さまざまな違いがありますが、本質的には一人ひとりが他に類のない尊い存在です。
例えば、樹木は、根っこは一つでも、幹が伸びて、枝葉を茂らせ、やがては花を咲かせ実を結ぶものもあります。幹、枝、葉、花と実と、いろいろな姿かたち、持ち味があり、それを活かし合って、一本の樹木が成り立っています。そうしたいのちの成り立ちを人間にも当てはめて、お互いに合掌・礼拝(らいはい)し合う。表面の違いを超え、一人ひとりを讃歎(さんたん)することの大切さが、仏教に説かれてあります。
また、この世のすべての物事は、それ自体が単独で存在するものは何一つなく、相互に依存し、関係し合っています。そして私たちは、人間はもちろん、太陽の光、水、空気、動植物など、宇宙の一切合切のお陰さまで、いま、こうして生かされています。そのありのままの相(すがた)を見つめると、単なる個人のいのちという捉え方を超えて、すべてが「一つの大いなるいのち」であることを自覚することができます。それは、自他一体、すべてが兄弟姉妹であるという宗教的自覚であります。
これは仏教の捉え方ですが、「アディアン財団」の方々にも、ご理解頂けるものがあるのではないかと思います。要は、他者に対する思いやりの心、愛や慈悲の心を持つ人が、一人でも多くなっていくことが大事であります。兄弟姉妹として、相手を理解し、深く配慮する。相手の立場に立って、苦しみや悲しみを共有する。そうした豊かな心・温かな心を育てるのが、いわゆる平和教育の根本ではないでしょうか。