庭野平和賞受賞団体「アディアン財団」が本会を訪問 会員にメッセージ

ダウ理事長のスピーチ(要旨)

私は皆さまに、私自身の確信をお分けしたいと思います。異なる信仰体験の背景には、共通する一つの精神性が存在し、さまざまな違いは、まるで音符のように、ユニークで美しいシンフォニーを構成できると確信しています。

約4000年前に生き、キリスト教徒、ムスリム、ユダヤ教徒から“信仰の父”と崇(あが)められる預言者アブラハムの五つのエピソードを紹介しながら、真の信仰体験の核となると私が信じる五つの重要なポイントをお話ししたいと思います。

分断から一致へ

アブラハムが神のおぼしめし(ご意向)を心の内に受けた時、彼は自身の信仰体験が全ての人々への恵みの源になる、と気づきました(創世記12章、1-3)。

当時、“部族”の様相を呈した宗教は分断や紛争のもとであり、人々は信仰を、他者に対抗する力として認識し、それぞれが信じる“神”が戦いにくみしてくれると信じていました。しかし、アブラハムの新たな信念は、神の名の下に、人々の間に生じる分断や紛争の愚かさを認識させるものとなりました。

違いは、根本的には全人類への恵みの源であるのです。この意味において信仰は、自らを他者の恵みや幸せのために捧げるように変化させていきます。信仰と暴力は矛盾するものです。相互のつながりと絆、平和構築が信仰者の使命であり、神の意志に対する忠誠の証しとなるのです。多様性を尊重することで、私たちは一致できるのです。

優越性から謙虚さへ

神の恵みを地球上の全ての人々へ広めるという普遍的使命を抱き、人生を歩み始めてから、アブラハムは非常に有意義で感動的な体験をしました。ある時彼は、不思議な王である、神の祭司メルキゼデクに出会いました(創世記14章、17-19)。アブラハムは彼に神の恵みを与え、宗教的な敬意を表し、彼はアブラハムを祝福しました。

信仰者、とりわけ宗教指導者は、残念ながら神の恵みを“独占する”傾向があります。しかし、アブラハムは神の恵みを広めると同時に、異なる信仰や伝統を持つ見知らぬ他者から恵みを受け取ることの大切さを示したのです。自分の信仰の優越性に溺れるのではなく、アブラハムはむしろ、見知らぬ他者と恵みを分かち合うという信仰姿勢を示し、謙虚に生きたのです。

暴力から慈悲へ

次に、アブラハムは神が自分の愛する息子を捧げるように要求したと思った強烈な体験をしました(創世記22章、1-19)。悲しいことに、今日まで、非常に多くの暴力が宗教の名の下に行われ、多くの人々の命が奪われてきました。

アブラハムもまた、神の意志にひれ伏す姿勢を持って、自分の息子を生贄(いけにえ)として捧げようとしました。しかし、神は生贄を求めていたのではなく、神の名の下に何ぴとたりとも傷つけられることを一切拒んでいることに気がつきます。信仰は生命を犠牲にしたり、他者に暴力を振るったりすることではなく、生命に敬意を表し、慈悲を実践することに私たちを誘うものであるという大きな教訓を学んだのです。

【次ページ:無関心から慈悲心へ 不信から親切へ】