庭野平和賞受賞団体「アディアン財団」が本会を訪問 会員にメッセージ

無関心から慈悲心へ

アブラハムは信仰の旅で、ある気づきを得ました。その気づきとは、彼自身や、彼の属する組織、社会にのみ責任を負っているのではなく、全人類の至福に対しても責任を負っているというものです。

罪深い人々が住んでいたソドムという町を天使たちが破壊しようと決めた時、アブラハムはソドムに住んでいるかもしれない少数の正しい市民のために、破壊から町を救うよう神に働き掛けました(創世記18章、16-33)。このことは私たちに、いかなる人物や町、国に対しても、無関心であってはならないと教えています。今なおシリアやイエメン、その他地球のあちこちで繰り広げられている無辜(むこ)の人々への殺りく、町を破壊する暴力を正当化するものは何もないという、確固たる信念を持ち続けることへの教訓でもあります。

信仰は、いかなる苦しみに対しても無関心ではいられません。信仰とは、人類全体が慈悲行に生きることへの強い呼び掛けです。異なる背景を持つ私たち信仰者の宗教的・社会的責任は、集団として永久的に暴力を阻止し、生命を守り、地球の至るところに平和をつくり上げることです。

不信から親切へ

ある日のこと、最も暑い時間帯にアブラハムがテントの入り口に座っていると、3人の見知らぬ人たちが側に立っていることに気づきました(創世記18章、1-15)。一般的に、見知らぬ人は恐れや不信のもとになります。しかしアブラハムにとって彼らの存在は、自分の家を開け放ち、もてなしなさいという神からの呼び掛けでありました。

思いやりに満ちたもてなしこそが、人々の連帯と結束を強めていく、最も大切な価値であります。キリスト教徒は、これらの見知らぬ人々の受け入れを通して、アブラハムが神そのものを自分の家に招き入れたのだと信じます。神が見知らぬ他者の顔をして私たちの前に現れると信じるのです。この体験をすることが私たちの信仰生活の頂になります。

親愛なる兄弟姉妹の皆さま。

私は今、皆さまの前に、他者としてではなく、兄弟として立っているのです。皆さまはご自分の家や心だけでなく、この最も神聖なる大聖堂に私を招き入れてくださったのです。そのことに私は心より恵みと喜びを感じ、感謝の気持ちで満たされています。

私は今日、「多様性」「連帯」「人間の尊厳」のために奉仕するアディアン財団の使命を、より強く、はっきりと見つめています。

立正佼成会会員の皆さまと共に、「家庭、社会、国家、世界の平和境建設のため」という誓いを、喜びを持って分かち合います。そして、「まず人さま」の心で実践していくことを、ここにお誓い申し上げます。

(文責在編集部)

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