内藤麻里子の文芸観察(73)

“推し活”の世界がとんでもないことになっている。朝井リョウさんの『イン・ザ・メガチャーチ』(日本経済新聞出版)は、推し活を通して現代人の精神のありようを嫌というほど突き付けてくる。その不安、寄る辺なさに打ちのめされる思いがした。

物語は3人の視点で進む。まずはレコード会社勤務、47歳の久保田慶彦。長らく制作の現場から離れていたが、あるボーイズグループのプロモーションにかかわることになる。そして19歳の大学生、武藤澄香。離婚した元妻に引き取られた慶彦の娘だ。中学までは英語と洋楽が好きで海外で働くことを夢見ていたが、性格は内向的で、いまや留学もおぼつかない冴(さ)えない日々を送っていた。けれど、1人のアイドルを知り、推し活にのめり込んでいく。さらに契約社員の隅川絢子、35歳は、ある舞台俳優のファンだったが、推し活できない状況に直面する。つまり運営側、推し活にのめり込む者、それができなくなった者の視点で物語は展開していく。

幕開けではアイドルグループのエグゼクティブプロデューサーが、推し活の陽の面を語る。いわく「優しさに溢れるコミュニティを求め」、「孤独、孤立対策」になり得る。推し活の様子もワンダーランドのようで面白い。しかし、本書はそんな甘い話ではない。慶彦が関係するプロモーションの特別チームが不穏で、どんどん熱量が高まる。

チームの目的は「信徒獲得と教義の布教」だという。チームのある人物がこう語る。「神がいないこの国で人を操るには、“物語”を使うのが一番いいんですよ」。後に登場する澄香の章で、教会の信者を増やすための「チャーチマーケティング」について言及されるが、まさに信者に替わるファンダム(熱心なファンの集団)を操っていこうというのだ。思わず、スマホがアルゴリズムで私たちの興味関心を分析することに対する不快さや危うさを想起させられた。

澄香が推し活にのめり込むさまと、推し活の対象がなくなった絢子が行きついた先、慶彦が陥った事態は尋常ではない。しかし何よりも衝撃なのは、それぞれが選び取ってその状態になったことだ。終わらない日常の広い海原にいるのは不安で、視野狭窄(きょうさく)に陥った方がいっそ幸せという現代の精神性がそこにあること、操る者もいることが心底恐ろしい。

これらをつづる文章が、またあざといくらいうまい。ことに核心に触れる質問をされながら自身をふり返ったり、大切なことが語られている傍らで自分の世界に浸っていたりという描写には、心がざわめき、抗(あらが)いようもなく物語世界に絡めとられていくようだった。

プロフィル

ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て92年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。

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