内藤麻里子の文芸観察(64)
三浦しをんさんの『ゆびさきに魔法』(文藝春秋)は、爪を美しく彩るネイリストを題材にしている。『神去なあなあ日常』『舟を編む』など、秀逸なお仕事小説を手がけた作家による、新たな充実のお仕事小説だ。
主人公の月島美佐は、東京の私鉄沿線の商店街にネイルサロンを開いて4年、従業員を募集中だ。交流のなかった隣の居酒屋の大将が、巻き爪になったことから物語は動き出す。ひょんなことから大将の爪のケアをし、居酒屋の常連である新米ネイリスト、大沢星絵を雇うことになった。日々それなりに満足して穏やかに暮らしていた月島だが、コミュニケーション能力抜群の大沢によって、世間とつながる窓がバタバタと開いていく。
巻き爪、付け爪(スカルプ)などの施術や、デザインのディテールに引き込まれる。ネイルってこういうことなのか、と蒙(もう)を啓(ひら)かれる思いがする。「そんなんで日常生活が送れるの?」といったネイルに対する一般の偏見や、「二時間ドラマの犯人になぜかされがち」というネイリスト業界で言われていることの真偽に踏み込むし、堅実な仕事ぶりながら、センスのなさに悩んだ月島の過去を絡めもする。大沢に導かれて居酒屋に足を踏み入れていくのがいいアクセントだ。サロンの客、商店街の面々とのやりとりなど、てんこ盛りのストーリーがあきれるほど軽妙に描かれる。
時代の風を吹かせるのもさりげない。例えば幼い子どものことを話題にしている時、「子どもとの接点がまずなくって」という大沢に「(若いんだから)そりゃそうだよね」と言った端から自分の言葉が自らを突き刺す。「『若さ』が結婚していないことの理由なのだとしたら、三十代半ばを過ぎて未婚、子なしの私はどうなるんだ。いまの発言は全方位に対して無神経だったか」とつづる。その手つきにほれぼれする。
堅実な月島に、感性の大沢という取り合わせに、ハートをつかまれる。居酒屋での大沢の酔態の数々は、待ってましたと言いたいくらい読んでいて楽しみだった。バディものとしての面白味があふれている。やがて月島は、あるアイデアを思いつく。そのために旧知のネイリスト仲間との交流を再開し、地域に踏み出すきっかけにもなる。そしてそれは大沢の成長にもつながっていくのである。これらをディテール豊かに描いて、こちらの気をそらさない。
コミカルで真摯(しんし)で、ほろりとする情も忘れない。これぞ“しをん節”を存分に堪能できる。
プロフィル
ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て92年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。
内藤麻里子の文芸観察