内藤麻里子の文芸観察(51)

井上荒野さんの『TERUKO&LUI(照子と瑠衣)』(祥伝社)は、上質な大人のおとぎ話である。はっちゃけた70歳の高齢女性2人の愉快な行動に目を奪われるが、その裏には辛苦をなめたこれまでの生活や、相方に対する思いやりが潜む。人生これからと励まされる物語だ。

何が起きているんだろうと、頭に「?」を抱えたまま物語は幕を開ける。照子は自宅で弁当を作ったり、荷造りしたりしている。これから旅行なのかと思うが、友人の瑠衣から「助けて」と連絡があっての行動らしい。好奇心に駆られてページを繰ると、なんと照子は夫との生活を捨て、出ていくのである。ならば女二人の逃避行が始まるかと思いきや、勝手に借りた夫の車で長野の別荘地に乗りつけ、愉(たの)しく暮らし始めたのだ。

とはいえ今まで照子は専業主婦、瑠衣はしがないクラブ歌手。仕事を得たものの、手元は不如意。そこで思い切った金策に打って出る。こうした二人のドキドキの冒険行が次々に語られる。これまで、照子は夫の浮気とモラハラに長年悩まされ、瑠衣も産んだ子に会えない人生を余儀なくされていた。けれど、本作はその恨み、つらみ、悲しみについて多くは割かない。それはそれとして、次のステージに行く決意をした姿こそが大事なのだ。

別荘地での生活のあれこれ、照子がきちんと料理を作る習慣や、通信講座で学んだある技能などディテールが鮮やかで、読む者を飽きさせない。二人の関係性も適度な距離感、思いやりが保たれている。こうした日々の中、実は照子にはある計略があった。ただの気楽な新生活ではなく、自身の生活と瑠衣の人生の悔いという問題を、二つながら解決しようともくろんだのだ。これにはしてやられた。

そして、物事はそううまくいかないというのも織り込み済みで、厄介事も見事に切り抜ける。ここまでくると、二人はそれまでの人生とは違う自分を獲得しているのだ。そして彼女たちはこう言って笑い合う。

「なんか、あたしたちの一生が、この先まだまだたっぷりあるみたいじゃない?」

「その通りよ。たっぷりあるわよ」

この原稿の冒頭で「70歳の高齢女性2人」と紹介したが、「高齢女性」と書くことに気が引けた。人生経験をもって、まだまだこれからの人生を楽しもうとしているからだ。ただ「女性」とすればいいのだろうが、少なくとも10年前だったら迷いなく「高齢女性」「老女」と書いていた。そんなことを考えさせられながら、やけに元気をもらえる作品であった。

プロフィル

ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て92年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。

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