内藤麻里子の文芸観察(35)

中高年になると体のあちこちに脂肪がつき、健康診断の結果も思わしくなくなる。誰でも一度は「泳いでみようか……」という言葉が頭をよぎるのではないか。そんな時には篠田節子さんの『セカンドチャンス』(講談社)が超お薦めだ。

20年余りにわたり母親の介護をしていた大原麻里は、母を見送ってみれば、51歳。婚期を逃し、高血圧に高脂血症、“トド”のような体型になった自分がいた。医師らの指導を受ける生活習慣病撲滅プロジェクトに参加しているが、なかなか運動メニューをこなせない。仕事や家事、膝の痛みなどを理由に運動しない麻里に対して、指導医は言う。「治らない人っていうのは、必ずそういう言い訳を用意して、ここに来るんだよね」。耳の痛い話だ。確かにわれわれは何か理由をひねり出しては、一歩踏み出すのを先延ばしにしている。

一人ではなかなか実行に移せない麻里は幼友達を誘い、「相模スポーツセンター」のプールに体験レッスンを受けに行くことにした。大手のジムではなく、値段が手ごろなのはいいが、老朽化した地元のジムである。粗末な設備にひるんだものの、雰囲気の良さにひかれて夜間の「初級」クラスに通うことを決めた。

「イケメン、イケボディのインストラクター目当てにおばさんたちが集まってる」というネットのうわさの真相、主婦たちによる「黙殺」という仲間はずれ行為、インストラクターの教え方の差異と人気インストラクターのタイプなど、臨場感あふれる描写はまさに水泳クラブにいるよう。全くの初心者が、理論派のインストラクターに指導される場面もこと細かく、水の中でもがく麻里の姿が自分のことのように感じる。この暑い夏に読んでいると、水音が響き、しぶきが飛ぶプールの魅力に引き寄せられてしまう。

一方で麻里の日常も活写する。地に足をつけたおばさんの生活だ。介護を一人で担ってきたし、親戚や隣近所との付き合いもおろそかにしない。地域とのつながりという面では町会で役割を果たさなければならないけれど、それは半面で見守られる、心配されるという機能を果たす。家庭でも地域でもおばさんの肩に負担と責任がのしかかり、しかしその力は絶大なのだ。ハプニングや障害がありながらも、日々の暮らしと水泳クラブの両輪で麻里の生活が生き生きと回り出す。やがて、男女混合メドレーリレーで大会出場を目指すことになる。

何事も始めるのに遅いということはない。本書でプールへの関心が高まり、ジムに行くハードルがちょっと下がった。思わず最寄りのスポーツセンターを検索してしまった。

プロフィル

ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て92年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。

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