内藤麻里子の文芸観察(31)

自分のやりたいことは何だろう。私にはどんな仕事が向いているのか。若い頃から我々はずっとそんなことを考えているのではないだろうか。角田光代さんの『タラント』(中央公論新社)は、「使命」「賜物(たまもの)」「才能」などの意味を持つ題名だ。主人公は、タラントとは何か、自分にタラントはあるのかと考え続ける。その姿は、しがない私たち自身に見えてくる。

多田みのりは1999年、大学進学を機に上京した。海外への物資支援、教育支援などをするボランティアサークルに入り、ネパールで体験学習するスタディツアーにも参加した。そこからの歩みは、サークル仲間でジャーナリストやカメラマンになった友人たち、太平洋戦争で片足をなくした祖父や、不登校気味の甥(おい)、パラリンピックの選手が絡み、結婚後の現在も交錯しながら展開する。

ストーリー自体は実になにげなく、しかし物語は驚くほど周到に、繊細に紡がれていく。例えば、折々登場する祖父の戦争をめぐる独白が今の若者のような口調で語られ、最初は小さな違和感があった。しかし、これは作中で描かれるNGO団体に就職した後輩の現地リポートの書き方に通じていて、同じ書き方をしていたのだと気づいてはっとした。また、支援を受けている海外の子どもたちが、将来の夢を聞かれて「教師」だとか「医者」と答える場面を見た記憶がないだろうか。その理由が、ある場面で語られた時には衝撃が走った。

細やかに描写される背景の中で、みのりは迷いつつ人生をたどっていく。ボランティア活動の延長で、多少かかわりのある仕事に就こうと小さな出版社に就職し、海外へのスタディツアーもおろそかにしない。意識高く生きているつもりだが、ジャーナリストの友人の活躍は正視できない時もある。自分にはない使命(タラント)があるように思われ、嫉妬とか臆する感情があるからだ。思い当たるふしがある方も多いだろう。使命があると思われている側は、行き当たりばったりで道を開いている場合も少なくないのだが。で、そのことも遺漏なくすくい取る。

さて、さまざまな曲折を経て、みのりはタラントをどう受け止めるのか。そこに至った時、思わず胸を突かれ、救われた思いがした。同時に、鮮やかさを増すのが一連の祖父の独白だ。戦争である種の絶望をした人の、それでも生きてきた姿の尊さが立ち上ってくる。悲しみばかりでなく、そこには小さな喜びすらあったことに安堵(あんど)するのだ。

小説って、こんなことまで書けるのか。人間の実存を描こうとした角田光代という作家の意思に感謝したいし、この作品は心の深いところに残る。

プロフィル

ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て92年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。

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