内藤麻里子の文芸観察(29)

2020年『化け者心中』で小説野性時代新人賞を受賞してデビューした蝉谷めぐ実さんは、新たな時代小説の書き手として注目を集めた。その蝉谷さんの2作目『おんなの女房』(角川書店)が早くも刊行された。

2作とも江戸の歌舞伎界を描いているのだが、何が新しいと言って、ぐっとエンターテインメントに振り切って登場人物たちを活写しているところだ。その世界観を読み解く手がかりは、デビュー作の冒頭に掲げられた江戸時代の書『世事見聞録』のこんな一節にある。「すべて今都会の婦人女子の楽しみは、歌舞妓に止まり、愛敬はかの役者に止まりたる事にて、婦人女子の心離るゝ事なし。依つて今の芝居は世の中の物真似をするにあらず、芝居が本となりて世の中が芝居の真似をするやうになれり」。いかに江戸で芝居がはやっていたかを記した文章だが、その言葉に乗って、えいやっとばかりに江戸と歌舞伎のワンダーランドを創出してみせたのだ。登場する主な役者たちは、モデルはいるかもしれないが、ほとんど架空であることもその証左となろうか。

エンタメ性を強めると、漫画のような荒唐無稽さが出がちだが、その危険をうまく回避しているだけでなく、なんと江戸に吹く風、意地や張り、心の機微、役者の業までにじみ出る。ポップなのに読み応えのある時代小説なのである。

『おんなの女房』の主人公は、女形(おんながた)の喜多村燕弥(えんや)に嫁いだ志乃。燕弥は役が付くと、日常生活もその役柄に漬かって過ごす厄介な夫だ。芝居のことなど何も知らない武家の娘だった志乃は、なぜ自分が嫁に迎えられたのか分からず身の置きどころがない。しかし役者の業深き夫の目論見(もくろみ)を知り、役者の世話をする奥役に世話をやかれ、女房仲間に振り回されながら成長していく。

本書は、志乃が「女の価値」を見いだしていく物語だ。「武家の女」「役者の女房」、そして「おんな(燕弥)の女房」を自覚した時、父にしつけられた窮屈な価値観は消え、無難な価値観も超えて、燕弥と二人だけの価値観を生み出すことになる。

女の価値の物語だからと言って、決して深刻ではない。女の価値を他家の女房の騒動や、芝居の演目の解釈などに絡め、時に軽妙に、時にこくのある味わいでつづる。燕弥に対する志乃の振る舞いの数々は、何ともけなげでキュンとする。つづる文章もテンポよく、ふくよかだ。滑稽味も十分。今の言葉で言う「ジェンダー」を、時代小説で語ってみせた手腕はあっぱれと言うしかない。

こんな時代小説は、今までお目にかかったことがない。

プロフィル

ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て92年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。

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