内藤麻里子の文芸観察(27)
夏目漱石といえば文豪である。英国留学中、神経衰弱になったとか、胃弱だったとか、妻は悪妻と言われたとかの知識はあった。けれど総じていかめしい印象だった。ところが、伊集院静さんが漱石を描いた『ミチクサ先生』上・下巻(講談社)を読んだら、そんな印象が吹き飛んでしまった。豊かな人間性が香り立ってきたのだ。
漱石は父51歳、母42歳のときに生まれた“恥かきっ子”で、すぐに里子に出された。実の父には「厄介者」「我楽多(がらくた)」と言われ、里親の夫婦仲も思わしくなく、蔵の中の書画を一人眺めては心を慰めていた。一方で、当時隆盛だった落語、講談に親しみ、江戸っ子気質に磨きをかけていく。そして大学予備門で、生涯の友となる正岡子規と出会うことになる。子規の明るさ、文芸への造詣の深さに巻き込まれ、しかしお互いに影響し合う特別な絆を結ぶ。
著者には子規の評伝小説『ノボさん』(2013年)がある。子規を中心に漱石との交わりを描き、日本の近代文学の始まりのありさままで浮かび上がらせた。ここで描かれる子規はおかしみがあり、率直で、激烈で、けれど病に倒れる悲しさをはらむ。
『ミチクサ先生』では、そんな子規をより端的に表現する。というか、漱石の一生を描く筆はこれまでに増して引き締まり、驚くほどコンパクトな上・下巻になっている。無駄な情感は漂わせないのに、例えば子規が落第しそうになって助けようと奔走する漱石の姿や、教え子の慕いぶり、東京帝大で人気講師になっていく様子から見えてくるのは、愛すべき漱石だ。端的な表現の中にユーモアが漂い、生きることの真実が潜む。どこかの1行にちょっととどまって、そこで展開した場面をたどり直すと、思いがけない深い味わいを感じることになる。
伊集院さんには島の教師を描いた『機関車先生』(1994年)、色川武大との交流を描いた『いねむり先生』(2011年)があるが、「先生」とタイトルにつく作品からは、この作家の愛情があふれてくるような気がする。
ともあれ、実は充実していたと読み解いた英国留学や、最初はてこずりもしたが別に悪妻でもない妻との、お金に窮することがあっても笑っている鷹揚(おうよう)な家庭生活などに引き込まれる。圧巻は、小説を作り上げていく過程だ。『吾輩は猫である』『草枕』など、これまでの人生の中から生み出す小説のあれこれに言及されると、改めて漱石作品を読みたい気持ちが高まってきて仕方ない。この年末年始に手に取るしかないか。
プロフィル
ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て92年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。
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