内藤麻里子の文芸観察(21)

今年1月、『心淋し川』で直木賞を射止めた西條奈加さんの新作が、『曲亭の家』(角川春樹事務所)だ。受賞後第一作となるわけだが、なんとこれが全く新しい時代小説なのだ。思い切って言ってしまえば、フェミニズム時代小説である。

「曲亭」とは『椿説弓張月』や『南総里見八犬伝』で知られる読本作者、曲亭(滝沢)馬琴のこと。馬琴の長男に嫁いだ路(みち)を通して、一家の内情が語られていく。舅(しゅうと)の馬琴は頑固で人嫌い。姑は我儘(わがまま)な気分屋。夫は病弱な上、発作的に激昂(げっこう)して手に負えない。難物ぞろいの彼らに対して葛藤とあきらめを繰り返しながら、家になじんでいく姿を充実の筆致で描く家族小説だ。

ところが本作の魅力はこれだけではない。冒頭の4ページ目に「女は嫁いでも苗字が変わらぬから」という文章が出てきて、あれ? と思った。この一文を気にしながら読んでいると、路は夫や舅に対して、「女をあまりに軽んじている」と怒り、封建制度に憤ってもいる。他にも随所にこうした描写が登場する。そう、ここにあるのは女性を一個の人間として描く意思だ。

常々、歴史・時代小説に登場するのは、忍耐強く男を支える都合のいい女たちばかりだと感じていた。本書にも『八犬伝』に出てくる女たちを「母性の神格化」か「ただただ悲運に翻弄されて」いるだけか、はたまた「悪女」かで「女のあつかいが雑なのだ」と路の心中をつづる箇所がある。全くその通りで、『八犬伝』のみのことではない。

武士に襲われて、そのまま情人になってしまうといったことが普通に書かれていた。つまり、従来の歴史・時代小説はマチスモ(男らしさを重んじる生き方や価値観)に貫かれていたのだ。それを私たちはこんなものだと慣らされて読んでいた。いくら江戸時代の女性といえども、男性に盲従しているだけではなかったと思う。女性差別に対する抵抗の声が高まった現代、ようやく歴史・時代小説のマチスモに気づき始めた。そうしたら、女性を都合よく消費することのない、フェミニズムの視点が入った歴史・時代小説が誕生したのである。

とはいえ、声高に主張していないところがミソだ。あるいは気づかず読んでしまうかもしれない。それだけ巧みに家族の困難をつづり、目が見えなくなった馬琴を路が支えて『八犬伝』を書き継ぐクライマックスまで、滑らかな筆で一気にひきつけるからだ。読み終えたときには、それぞれ精いっぱい生きた家族だったという余韻が胸をひたす。

プロフィル

ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て92年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。

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