内藤麻里子の文芸観察(16)

村山由佳さんの『風よ あらしよ』(集英社)は、大正12(1923)年、憲兵隊によってアナキストで内縁の夫である大杉栄、甥(おい)の宗一と共に殺害された婦人解放運動家 ・伊藤野枝(いとうのえ)の生涯に迫った。

共産主義、社会主義、アナキズム、さらには平塚らいてうらによる女性解放運動などが渦巻いた大正期を軸にした堂々たる歴史小説である。同時に、伊藤野枝に生き生きとした命を吹き込み、現代の私たちのすぐそばにいるかのように感じさせてくれる。

実は、野枝という女性はつかみにくい人物だ。生家が貧しくて進学は無理だと思えば、裕福な叔父に猛烈にアピールする。意に染まぬ結婚を強いられたら逃げ出して、恩師・辻潤に頼り、こちらと再婚。そうかと思えば大杉栄を妻と愛人から奪い取り、辻家から出奔(しゅっぽん)。男を渡り歩いて世間を騒がす。一方で、平塚らいてうの『青鞜(せいとう)』によって立つ。野育ちで脂じみ、身なりに構わず、細かいことは気にかけないから自堕落にも見える。

こんな人が友人、知人にいたら、なかなか大変だ。こちらの理解が及ばず、敬遠したいタイプだ。事実、大杉が愛人・神近市子に刺されるというスキャンダルが起きた時、友人、知人は野枝に対して冷たいコメントを新聞に寄せた。友達がいなんかありゃしない。

読者としても最初は彼女のアクの強さに閉口するのだが、作家はそれぞれ行動の裏にある意思、原動力を丁寧につづり、成長ぶりを資料を駆使して明らかにしてみせる。透徹したまなざしの中に熱を帯びた筆に乗せられ、いつの間にか「野枝、行け!」とこぶしを握っている。そして気づくのだ。この人は特異な人ではない。誰よりも自分の意思を貫き、学んで成長し、愛すべき男に出会った一人の女性にすぎないのだと。また、女性解放運動の先駆者たちの闘いが、いかに身を削るものだったかに思いを馳(は)せることにもなった。

性愛を絡めて女性の成長を描いた『ダブル・ファンタジー』(2009年)、『ミルク・アンド・ハニー』(2018年)の著者だからこそ、つかみ取れた伊藤野枝像ではないだろうか。

物語の構成にも目を奪われた。語り手が野枝だけでなく辻、大杉、神近、活動仲間の村木源次郎など次々変わって多角的に野枝と、主義主張に揺れた時代を映し出す。会話のニュアンスやテンポ、いきなり固有名詞や出来事を挙げてから経緯を明かす語り方など物語のあちこちに推進力が潜み、650ページを超す大著が苦にならず読めた。突き抜けた文章であり、物語世界だった。この作品で、村山さんは確かに新境地を開いたと言えよう。

プロフィル

ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て90年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。