内藤麻里子の文芸観察(1)

芥川賞を受賞した『火花』、『劇場』と小説を発表するたびに話題を集める、お笑い芸人にして作家の又吉直樹さん。注目の新作『人間』(毎日新聞出版)は、一層パワーアップした思索に幻想的な場面のスパイスも効き、どうしようもない人間の姿をつきつけてくる。

お笑いを極めようとする芸人の葛藤を描いた『火花』の主人公は「徳永」。劇作家の苦悩と恋愛を描いた『劇場』の主人公は「永田」。そして漫画家を目指した男が主人公の今回の名字は「永山」。もはや意図的に「永」の字を使っているとしか思われない。いずれも何者かになろうと苦闘する若者たちの物語で、不偏的なものを求める渇望がこの字を選択させているかのようだ。

永山38歳の誕生日に、ネット上で起きている、ある騒動の知らせが舞い込む。一方の当事者はかつて表現者を志した若者たちが共同で暮らす一軒家にいた一人だった。これが絵に描いたような敵役。芸術とは何か、面白いとはどういうことかをめぐって毎晩のように繰り広げられた議論、いさかい。あの日々の苦みが、現在の騒動をあぶり出す。

我々はとかく、世の中なんてこんなものさ、とうそぶき、生きるってこれくらいでしょとなんとか自分と折り合おうとする。しかし、永山はというか作家はそれをよしとしない。いや、よしとできない。どこまでも思索を重ねこだわる主人公であり、友人たちである。あちこちに又吉さん自身の姿が潜み、見てきたであろう光景を感じる。作中で永山はこう考えるに至る。「僕達は人間をやるのが下手なのではないか」。そう、彼らはどうしようもなく下手なのだ。

本書の中で太宰治の『人間失格』に何度か触れている。又吉さんもかねて好きだと公言している作家であり、作品である。太宰が同作を書いたのが38歳。主人公・永山が38歳の設定。又吉さんが本書を執筆したのもその年齢だった。それを知って、気づいたことがある。『人間』は太宰の「人間失格」という言葉の意味を、「人間をやるのが下手」ととらえ直して尊敬する作家に贈った返礼のようではないか。

さて、終盤、永山は若き日の傷を乗り越える作品を生み出し、父が暮らす沖縄でお祝いが計画される。沖縄という土地で開かれる祝祭の中で、生きるのが下手な命がうたい上げられていく。いわば青春小説だった『火花』『劇場』から、一歩踏み出したことを宣言するような書といえよう。

※今月から月に1回、文芸ジャーナリストの内藤麻里子氏が文芸や小説の新刊を紹介していきます

プロフィル

ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶応大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社し、宇都宮支局などを経て90年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年7月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。