人と人が出会ってこそ苦や悲しみが癒やされる 法隆寺管長・大野玄妙師

仏教を分かりやすく説く大野玄妙法隆寺管長

慈悲は「慈しみ」と「悲しみ」という言葉でできていますが、どういう意味だと思われますか。この言葉には、「悲しみが分かって初めて、人を慈しむことができる」という深い意味が込められています。茨城の皆さんは東日本大震災の時、大変な思いをされたと思います。体験者にしか分からない心情も多々おありでしょう。

しかし、同じ体験をしていなくても人を思いやることができると思います。疑似実感といいますか、たとえば家族を亡くされた方に「大変ですね。これから寂しくなりますね」などと声を掛ける。厳密に言えば相手の本当の苦しみは分からないのですが、「さぞ、苦しかろう、さぞ、悲しかろう」との思いで寄り添うことができるのです。

さらには、災害が起きると多くの人が義援金に協力したり、被災地に知人がいれば電話をかけたり、メールを送ったりします。被災地に赴いて物資を届ける人や片付けを手伝う人もいます。

これらの行いは、菩薩のあるべき姿を表しているのではないでしょうか。「苦しんでいる人がいたら、自分は幸せになれない」という思いです。まさに、聖徳太子さまが説かれた「和」の精神、法華経でいうところの「一乗」思想に通じます。日本に伝来した仏教が、長い時間をかけて日本人の心にインプットされたのだと私は考えます。

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