かけがえのない平和、若い人たちに守り続けてもらいたい 被爆体験証言者・蜂須賀智子氏

私は、川へ下りる石段に腰を掛けて、ただぼんやりしていました。後から思えば、あまりの出来事に感情を失ってしまったのだと思います。ぼんやりと川を見つめていると、広い河川敷も潮が満ち始め、しだいに狭くなりました。振り返って工場の方を見てみると、そこはもう火の海でした。「あーあ、どうしよう、逃げられない」。とっさに、「そうだ、この満ちてくる川を泳いで逃げよう」と思いました。

勇気を振り絞って川に入り、静かに上流に向けて泳ぎ始めました。しばらく泳ぐと、大変な事態に直面しました。行く手には、大きな木造の橋はボーボーと燃え盛り、火だるまになった大小の木片が、どんどん、川の中に落ちている。私は、息をのみました。前にも後ろにも行けない。「どうしよう」と、しばらく立ち泳ぎをしながら見つめていると、逃げる道が見つかり、橋のたもとから川岸を伝って、何とか橋の下を潜って抜けることができました。ホッとしたけれど、何とも言えない心細い気持ちになって涙がどっと、とめどなくあふれてきました。

その後も、泣きながら必死に泳ぎ続けました。周囲の景色が次第に変わっていき、夏草が茂る川岸が見えました。長くて太い草にしがみついて、やっと土手に這(は)い上がりました。

疲れた体を休めていると、突然、空がうす暗くなり、大粒のどろっとした黒い雨が、どーっと勢いよく降り始めました。「真っ黒い雨が降るなんて、不思議なことがあるもんだなあ」と、思ったものです。その雨が強い放射能を帯びていたことを知ったのは、何年も経ってからのことでした。

その場にたった一人で座り込んで夜を迎えました。夜のとばりに包まれると、真っ赤な炎が夜空を焦がしている。ああ、広島の町が燃えている。渦を巻きながら火柱が上がる。「両親はどうしているだろうか。どうか、助かっていて、お母さん」。川の土手は真っ暗闇で恐ろしさに震えながら、夜明けを待ちました。

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