かけがえのない平和、若い人たちに守り続けてもらいたい 被爆体験証言者・蜂須賀智子氏

年が明けて、母も回復したので、3学期になって初めて登校することになりました。「久しぶりに友達に会える! 話したいことがいっぱいある!」。喜びに胸がいっぱいで、いそいそと学校に行った私を待っていたのは、あまりに残酷すぎる事実でした。登校すると、先生に呼び止められ、私と同じ工場で働いていたクラスメートの全員が亡くなっていたことを聞かされました。初めて、たった一人生き残ったことを知りました。その場に座り込んで動けなくなりました。口にできないくらいの悲しみでした。

私のつらさ、悲しさ、苦しみは、決して口外することなく、心の奥底に封印したまま、数十年の歳月が流れました。2002年、被爆57年の年、広島教会(立正佼成会)での原爆慰霊式典で、教会長さんが、高齢化していく被爆者を憂い、若い世代の人たちにお伝えしていく義務、責任、使命があるのではないでしょうかと、言葉を投げ掛けられ、現実から逃避していた私はただ愕然とし、即座にお役に立たせて頂きたい旨を申し出ました。それから、被爆体験証言者として活動させて頂くようになりました。

私は被爆体験を証言するようになっても、一緒に動員されたクラスメートが大勢亡くなったのに、私は生き残ったということだけは、当分の間言えませんでした。どこか後ろめたい、申し訳ない気持ちが少なからずあったのだと思います。しかし、他の証言者の方が、親兄弟を亡くされたことなど自身の体験を赤裸々に話しておられるのを聞くうちに、私も話さなければいけないと感じるようになり、思い切って話すことにしました。すると、気持ちがとても楽になって、今では亡くなった友達が、私を見守ってくれていると思えるようになりました。いつも私の後ろで大口を開けて笑っております。とても時間がかかりましたが、これで良かったのだと思っています。

核兵器ほど恐ろしい残酷な兵器はありません。どんなことがあっても絶対に核兵器は廃絶すべきなのです。終戦から73年、今日の平和が、数えきれないほど多くの犠牲の上に成り立っているのです。これからの未来を担う皆さま方には、たとえ小さなことからでも、一人ひとりが平和のためにできることをして頂きたい、そして、かけがえのない、尊い平和を守り続けてもらいたい、そう切に願っています。

(8月10日、大聖堂で行われた講演から)

プロフィル

はちすか・さとこ 1930年、広島市生まれ。NPO法人「ヒロシマ宗教協力平和センター」(HRCP)の平和学習会などで被爆体験を語っている

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