【アフリカジャーナリスト・大津司郎さん】アフリカに学ぶ多様性社会との向き合い方

半世紀以上にわたり、アフリカの紛争や人道問題を取材する大津司郎氏。近年はルワンダ、タンザニア、ケニアを実際に訪れ、現地の人々の暮らしや文化に触れるスタディーツアーを主宰する。現代の日本では、個人の価値観が尊重される一方、その違いを受け入れられず、対立や不和が生じることも少なくない。多様な価値観を持つ人々が共生するために必要なものは何か。アフリカを見つめ続けてきた大津氏に聞いた。
アフリカから伝えること
――アフリカに関心を持ったきっかけは?
1970年、大学で農業を専攻していた僕は、仲間とアフリカで農業をやろうと話し合い、実際に現地の風景を見に行きました。第二次世界大戦以降、脱植民地化の流れが加速し、独立を果たしたアフリカ諸国には、さまざまな国や機関が農業支援に乗り出していたのです。僕はヒッチハイクと路線バスでアフリカ大陸を巡りました。
帰国後の73年、西アフリカのサヘル地域で、深刻な干ばつが発生していることを報道で知りました。この干ばつによる飢餓や病気で、数百万人が苦しみ、10万人以上が亡くなったと言われています。お世話になったアフリカに恩返しがしたいと思い、支援を決意した僕は、同じ思いを持つ仲間と共に「サハラ干ばつ救援委員会」を立ち上げ、企業や個人に支援を呼びかけて回りました。当時の日本は高度経済成長期の真っただ中。社会はエネルギーに満ちあふれ、企業が積極的に海外に目を向けていた時代です。支援を訴える僕たちの話を皆が真剣に聞いてくれました。そうして、人々の「力になりたい」という思いが結集し、多くの支援が集まりました。食料や衣類などの物資を実際に現地に届けることができた経験が、今の自分の原点となっています。
――なぜ半世紀以上もアフリカの取材を?
僕がアフリカで強く感じたのは、異なる民族や文化が共に暮らす中で育まれた自他の関係性の深さです。アフリカには1500以上の民族が存在すると言われており、それぞれが異なる歴史やアイデンティティーを持って同じ大陸に暮らしています。そのため、人々は相手の言葉や態度の奥にある事情をつぶさに読み取る洞察力を、自然に身につけているのです。
一方、日本では、多くの人が暗黙のうちに共通性の高い文化を共有しています。例えば、地域による違いはあるものの、お正月やお盆と言えば、大体の人が共通の行事や風習を思い浮かべることができるでしょう。しかし、多種多様な文化や言語、民族が入り交じるアフリカでは、そうはいきません。相手を「分かっている」という思い込みが、大きな誤解を生むことになりかねないのです。だからこそ、目の前の相手に配慮し、理解しようとする姿勢が身につくのだと思います。
また、その配慮の背景には、相手に敬意を持って接しようという意識があります。
こんな出来事がありました。主宰するスタディーツアーで日本の学生と共に貧困地域の小学校を訪れた時のことです。同行していたケニア人の友人が、目の前に集まった子どもたちにこう語りました。「今日は君たちにリスペクトを届けに来た」と。初対面の子どもたちに対してです。日本では、なかなか聞き慣れないやりとりです。しかし、アフリカでは長きにわたる紛争や対立を経て、憎しみだけでは生きていけない現実を皆が肌身で理解して暮らしています。だから、まずは相手に敬意を表すことが、人と人との交流を円滑にすると知っていて、生活に根づいているのです。それは、数々の苦労や衝突を乗り越えてきた社会だからこそ生まれた知恵だと言えます。
こうした僕の経験から強く感じるのは、アフリカは単なる「困難の象徴」ではないということです。異なる背景を持つ人々が共に生き、互いを理解しようとする姿勢は、特定の人々、コミュニティーの隔絶や社会の分断が危惧される今こそ、大切にしなければならないと思います。
また、僕にとってアフリカは、世界を知るための〝究極の現場〟です。民族間の対立、資源を巡る争い、難民や貧困――多くの問題を抱えていますが、ルワンダのように内戦を乗り越え、ⅠCT産業を中心に経済成長を遂げた国もあります。一方、南スーダンやソマリア、ニジェールなど、開発が進んでいない国々も存在しており、いまだ国際社会の支えが必要であることも事実です。
アフリカには、世界が直面する多くの課題に立ち向かう現実と、そこから生まれた数多くの失敗と成功が詰まっているのです。だから、僕は多様な価値観が凝縮されたアフリカを伝え続けたいと思っています。





