【元バレーボール日本代表・益子直美さん】怒らない大会に学ぶ青少年育成の在り方

怒りは手放し、勝利は手放さず

――高校時代に日本代表選手になり、バレーボール界を牽引(けんいん)されてきました

高校卒業後は敷かれたレールに従って、イトーヨーカドー女子バレー部に入団。優勝を目標に頑張ってきましたが、それは「優勝すれば引退できる」と思っていたからです。1990年に全日本バレーボール選抜男女リーグで優勝すると、私は2年後に現役を引退し、タレントに転身しました。バレーボール関連の仕事を避けていましたが、96年のアトランタ五輪では現地取材に行かせてもらいました。

帰国後、下肢などに障がいのある選手が座ってプレーするシッティングバレーボールの存在を知り、もっと広めたいと思い、ボランティアとして練習や試合の手伝いをさせてもらいました。また、バレーボールをしているLGBTQの友達から「私たちには目指す大会がない」と言われ、彼らが参加できる大会を10年間、主催しました。

その頃、親友から「嫌いなら、ずっとバレーボールに携わらないよね」と言われ、ハッと気がついたんです。私は、怒られた時はうまくなっても、監督の言う通りにしかプレーできず、自分で考えて動くことができなくなる、勝利至上主義のバレーが嫌いだったのだと。

――それが、監督が怒らない大会につながるのですね

当初は、「怒らなくて勝てるのか?」などとさまざまな批判を受けましたし、私にも迷いがありました。初めて大会を開催した年に、大学のバレーボールチームの監督を引き受けましたが、チームがある程度のところから伸びなくなり、怒る指導をしてしまいました。すると、選手は私の方ばかり見て、自分で考えてプレーしなくなったのです。これではいけないと思い、また、怒る指導をする自分も嫌になって体調を崩し、3年で監督を辞めました。

「監督が怒ってはいけない大会」での子どもたちの様子(写真提供・一般社団法人監督が怒ってはいけない大会)

それから、スポーツメンタルコーチングをはじめ、アンガーマネジメントやペップトークなど指導法について学び、大会で監督にかける言葉が変わりました。「それはダメ」と否定するのではなく、「どうすればいいと思いますか?」と問いかける。すると、監督も子どもたちを怒らず、「どうすればいいと思う?」とアプローチしてくれます。子どもたちはミスをしても怒られないから、次はこんな挑戦をしてみようと自分たちで考えて、伸び伸びプレーできる。ある時、大会に参加した子が「大人が楽しそうなのがうれしかった」と教えてくれました。大人が楽しくないと、子どもたちも楽しくないのですね。

「監督が怒ってはいけない大会」は、21年に一般社団法人となり、22年からは、半年かけてリーグ戦を行う「つながるリーグ」にも取り組み始めました。監督が怒らないことを前提に、勝つこと、強くなること、うまくなることを諦めず、チャレンジできます。

大会の成長とともに、私も毎回、子どもたちから学ばせてもらって、アップデートしていると思います。これからも、子どもたちに楽しくバレーボールを続けてもらえるよう、尽力していきます。

プロフィル

ますこ・なおみ 1966年、東京都生まれ。高校3年時に日本代表入り。85年、実業団入り。日本代表では世界選手権、ワールドカップで活躍。92年、現役を引退し、タレントに転身。2021年「一般社団法人監督が怒ってはいけない大会」設立、代表理事に就任。日本バレーボール協会理事、スポーツ庁スポーツ審議会スポーツ基本計画部会(第2期)委員を歴任。23年から公益財団法人日本スポーツ協会副会長、日本スポーツ少年団本部長を務める。

著書紹介

『監督が怒ってはいけない大会がやってきた』一般社団法人監督が怒ってはいけない大会著/方丈社 定価1760円(税込)

「監督が怒ってはいけない大会」の誕生から、大会の様子や監督、子どもたちの反応など、今日までの歩みを描いた作品