【被災地障害者センターくまもと事務局長・東俊裕さん】「災害弱者」をつくらない 障害者と共にある社会へ
災害による孤立を防ぐ 人と地域とのつながり
――避難所が、誰にとっても避難所として機能するためには、さまざまな配慮が必要なのですね
そうです。でも、必ずしも建物など物理的な構造がバリアフリーでなければならないとは思いません。田舎の古民家のような避難所でも、地域に重度障害者がいることを元々皆が知っていれば、彼は他の人と同じ体勢は取れないから小部屋を使おうとか、個別の配慮が自然となされていくはずです。
目に見える環境の中に障害者がいて、状況に応じて知恵を出し合えば、いろいろな工夫ができます。にもかかわらず、障害に対する無知や無理解、偏見が障壁となって、障害者が孤立してしまうのです。
そのような社会になった一番の原因は、教育制度だと思います。日本では、障害児の特性に合わせた、こまやかな教育を行うという名の下、分離教育が行われてきました。
一般の子供たちは小・中学校の9年間、人格形成のなされる大事な時期に、障害者のいない世界で成長します。大人になって障害者を情報として知ったところで、本当に身近に理解するのは難しいのではないでしょうか。多分に構造的な問題だと思います。
――活動は多岐にわたりますか?
避難所に来られず、居場所の分からない障害者をどう支援していくのか――。実はこれが、「被災地障害者センターくまもと」の活動の始まりでした。当初は、電話相談を受け付ける「SOSのチラシ」を避難所や病院の受付に置き、支援要請を待ちました。その後、熊本市と交渉し、7月に市内在住の障害者全員に郵送してもらいました。すると相談が一気に増え、毎日数十件の電話がかかってきました。これまでに約500人のSOSに対応してきたのですが、大別して二つの反応がありました。
一つは、「チラシでセンターの存在を知った。駆けつけてくれた方がよく話を聞いてくれ、自分の話をこんなに聞いてくれた人は、今までの人生でいなかった」との涙ながらの電話。もう一つが、「一番困っている時に行政は何もせず、2カ月なんとか持ちこたえた今頃になって、何がSOSだ」というお怒りの電話でした。
二つの電話の、社会的な背景は同じです。元々孤立状態にあり、地震が起きても頼れる人がおらず、一人でずっと耐え忍んでこられた。日頃の人間関係や地域でのつながりが非常に薄いことを端的に物語っていると思いました。都会も田舎も同じような状況があります。孤立を深めている実態が浮き彫りとなり、心のつながりの重要性を再認識させられました。
――災害弱者をつくらないために何が必要ですか?
多様性を認め、助け合うことでしょうか。災害時には、誰もが大変ですが、だからこそ、何か困っていそうな人がいたら声を掛け、何に困っているか尋ねてみる。そして、困っていることにできる限り誠実に対応してあげることが大切だと思います。
同時に、私たち障害者団体は今後、自分たちの住む地域とどうつながるか、自分たちの存在を知ってもらい、人と人とのつながりをいかにつくっていくかに力を注がなければなりません。
例えば、地域の防災訓練に参加し、そこで障害者団体のメンバーがリーダーシップを発揮していけるとよいですね。避難訓練の本来の役割は、災害対策の何が課題かを発見し、解決策を見つけてさらに訓練を重ねることです。災害が起きた時に必ず役立ちますし、仮に災害が来なくても、ともに生きる地域社会づくりの基盤になると思います。
プロフィル
ひがし・としひろ 1953年、熊本県生まれ。弁護士。熊本学園大学社会福祉学部教授を務める。専門は障害法。これまで、全国自立生活センター協議会(JIL)人権委員会委員長、内閣府障害者制度改革担当室室長などを歴任した。現在、「被災地障害者センターくまもと」事務局長、「障害者がともに暮らせる地域創生館」代表理事として共生社会の実現に努める。共著に、『障害者の権利条約と日本――概要と展望』(生活書院)。