【国連UNHCR協会・中村恵さん】緒方貞子氏から受け継ぐバトン 学び、行動し、次世代へつなぐ

2022年2月、日本人で初めて国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子氏に関する著書『難民に希望の光を 真の国際人緒方貞子の生き方』(平凡社)が発刊された。著者は、認定NPO法人国連UNHCR協会で事務局長特命(渉外担当)を務める中村恵さん。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の職員として、緒方氏のもとで難民の保護と支援に取り組んだ後、退官した緒方氏の仕事を数年間、パーソナル・アシスタントとして支えた。「緒方さんの生きざまは、誰もが自分の置かれた環境の中で、自分という存在を最大限に育て上げて生きるための指針になるに違いない」と述べる中村さんに、緒方氏の功績、生き方から学んだことなどを聞いた。

「真の国際人」「比類なきリーダー」の生き方を執筆

――UNHCRについて教えてください

毎年6月、紛争や迫害によって自国を追われた人々の数がUNHCRから発表されます。ミャンマー、アフガニスタン、シリア、イエメンなどでは今なお政情不安が続き、2020年末時点で、難民、国内避難民の数は8240万人に上ります。さらに、現在はロシアによるウクライナへの軍事行動によって、約2000万人が国内外で人道支援を必要としています。そうした人々を救援し、権利と尊厳が守られるように活動しているのがUNHCRです。1950年12月に設立が決議されて以来、世界中の人々の善意に支えられ、現在は132カ国で支援活動を展開しています。

立正佼成会の皆さまにも、「一食(いちじき)を捧げる運動」を通して、1988年から継続して資金助成を頂いています。最近では、ウクライナから逃れた人々への食料支援などに寄付金が役立てられました。会員の皆さまが食事を抜き、平和への祈りを込めて献金され、さまざまな団体に協力されていることに改めて感謝と敬意を表します。

UNHCRでは、紛争や災害などで命の危機に直面する人々が現れた時、「緊急対応チーム」が72時間以内に現場へと駆けつけます。支援の対象者は、国外に逃れた「難民」だけでなく、自国で避難生活を送る「国内避難民」、また「帰還民」「無国籍者」なども含みます。毎年、難民問題の課題や支援の成果を包括的に伝える「グローバル・レポート」を発刊するとともに、2000年からさまざまなアーカイブ資料の利用が可能になり、支援活動に生かしています。こうしたUNHCRの根幹をなす活動方針、支援体制などを確立していったのが、1991年から10年間にわたって国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子さんです。

私は約12年間、UNHCRの職員やパーソナル・アシスタントとして共に働き、その後も折に触れてお会いし、話を聞かせて頂きました。そうした中で、「真の国際人」「比類なきリーダー」である緒方さんの生き方は、誰もが世界を構成する一員としての自覚を持ち、精いっぱい生きるための参考になると考えるようになりました。特に、次世代の人が指針にしてほしいと考え、執筆に取り組みました。

――緒方氏はどのような活動をなされたのですか

緒方さんがぶれずに持ち続けた信念に「人の命を助けること」があります。同時に、現実的、具体的な支援活動へとつなげるための方法を柔軟に考えてもいました。

UNHCRに着任した1991年、湾岸戦争後のイラクで反政府運動を起こしたクルド人が弾圧され、多くの人が故郷から避難しました。しかし、隣国のトルコが受け入れを拒否し、約140万人が国内避難民となり、国境近くの山岳地帯に留(とど)まっていたのです。彼らは自国内にいるため、「難民条約」の定める「難民」ではなく、当時のUNHCRは支援できずにいました。

緒方さんは現地を視察後、多国籍軍と連携してのクルド人の救援を決断しました。周辺国の難民受け入れ拒否につながると強い反発もありましたが、彼らの命を守ることを最優先に考え、国連総会と国連事務総長がUNHCRに保護を要請するという形で、イラク北部に避難民キャンプを設営したのです。

軍隊との連携も、文民組織であるUNHCRとしては異例でした。この経験はボスニア紛争時にも生かされ、1992年から3年7カ月にわたり、サラエボで多国籍軍と協力して援助物資を空輸しました。

こうした決断は、学者として政治や外交の研究を続けられた経験が役立ったのだと思います。満州事変など過去の出来事に学び、現実の政策決定に関わる人々の状況を具体的に把握することで、眼前の問題に対処するための必要事項を素早く見極められたのでしょう。月の半分ほどを支援現場で過ごし、難民を含めた多くの人の声に根気強く耳を傾けたのも、現場を多面的に捉えるためと感じます。

難民として国外に逃れた人々が自国に帰還するための援助を始めたことも、UNHCRの支援方針の転換点になりました。私自身、ミャンマーのラカイン州でロヒンギャの帰還民支援に携わりましたが、難民を生む地域は政治的、経済的に不安定で、故郷に帰還後も安心して生活するには現地コミュニティーの再建が必要です。緒方さんはそうした視点から、ルワンダやコソボで異民族女性による小規模ビジネスに資金助成し、共通の目標に向けて協力することで女性たちの自立を促し、地域社会の和解へとつなげていきました。

ミャンマー・ラカイン州に赴任時の中村さん(左端。本人提供)

また、支援活動に不可欠な寄付金を集めるため、良質な情報の提供を心がけていました。寄付をすることで人々の難民問題への意識が高まり、ゆくゆくは政治を動かすことにもつながるからです。

そうした意味では、現在、社会の関心がウクライナに集中し、他の地域での支援活動に必要な資金が集まりにくい状況です。同じく命の危機に直面する人々を救うため積極的な情報発信に努めています。

【次ページ:社会の変化の中で努力し、自分なりの一翼を担って】