【日蓮宗日澤山仙寿院住職・芝崎惠應さん】宗教者の本来の役割を果たし 震災で困難抱える人々と共に
「人と人とをつなぐこと」が心が通う町づくりへの力に
――今、必要とされる支援は?
震災から2~3カ月が経ち、仮設住宅ができるようになってから、「死にたい」「何のために生きているのか分からない」と訴える人が増えていきました。「震災直後よりも今の方がつらい」と打ち明ける方もいました。そうした声を聞いて釜石仏教会では、被災者お一人お一人の心に寄り添う活動として、仮設の集会所で茶話会や説法会を実施しました。ところが、しばらくして、参加者の顔ぶれが同じであることに気がつきました。自宅に閉じこもりがちな人の姿は見当たりません。それならばと、保健所の職員と一緒に個別訪問を始めたのです。
最初はチャイムを鳴らしても全く反応がありません。それでも、訪問を重ねていくうちに、一人、また一人と顔をのぞかせてくれるようになりました。次第に玄関先で話し、そうしていると、愚痴をこぼしたり、悩みを打ち明けたりしてくれました。中には泣き出してしまう方もいます。今もそれは変わりません。津波で身内を亡くされた遺族の痛みや悲しみは、想像もできないほど深いものです。10年経った今でも決して癒えるものではないのです。だからこそ、私たちはこれからもずっと、仏に仕えるがごとく、被災者の心に寄り添い続けていきたいと思います。
震災から10年を迎え、「想いを伝える短い手紙」という新たな試みも始めました。震災で大切な人を亡くしたり、故郷を失ったりした人たちに「震災で亡くなった人へ」「大震災の時の想い」「未来の人々のために」など、それぞれの思いを手紙につづってもらう取り組みです。後に小冊子にまとめ、後世に語り継ぐことができたらと願っています。さらに仏教会では、被災地を安住の地とするためにたくさんの桜を植樹しています。津波から逃げることを教訓として伝承するイベント「新春韋駄天(いだてん)競走」も引き続き行っていきます。
私の役目は、「人と人とをつなぐ」ことだと自分に言い聞かせています。人との新たな出会いを大切にし、若い世代へ震災の教訓を伝え、心が通い合う町づくりに尽力していくことが願いです。
――被災者支援や復興活動に突き動かしているものは?
私は支援者であり、被災した当事者です。町が津波にのまれていく惨状を見、多くの犠牲者を弔うご回向をさせて頂く中で日増しに胸に湧き上がったのは、〈このままでは、釜石は終わってしまう。私がやらなくて誰がやる〉という使命感でした。理屈や理論が先にあってのことではありません。仏教会の仲間も全く同じことを考えていたと思います。だからこそ、自分よりもまず他を最優先に考えて行動できたのではないでしょうか。その思いは今も変わりません。
宗教者の役割は、亡くなった方を悼み、残された人たちに救いの手を差し伸べ、共に歩んで気持ちを切り替えられるきっかけを提供することだと思っています。被災地には、仏教はもとより、キリスト教、神道、新宗教など多くの宗教者が全国各地からボランティアとして駆けつけてくれました。宗旨宗派が違っても、それぞれの立場で被災者に寄り添い、亡き人を失った遺族の悲しみに思いを寄せ、共に祈りを捧げてきました。その姿にどれほど多くの方が励まされたことでしょう。
さまざまな困難を抱える人に寄り添う。それは、宗教者が果たすべき本来の役割です。被災地での支援を通して、仏教会で活動する私たちは人々と共に生きることの意味を問い直し、信仰の原点に立ち返ることができたと感じています。人との縁を大事にして、多くの方とよりよい釜石を築いていきたいと願っています。
プロフィル
しばさき・えのう 1956年、岩手県生まれ。9歳で得度。立正大学を卒業し、81年から日蓮宗仙寿院につとめる。日蓮宗霊断師会教学研究所所員として仏教学を研究した後、仙寿院住職に就任。東日本大震災直後、「釜石仏教会」を設立し、復興支援に尽くす。