【同志社大学教授・竹内オサムさん】時代を映す日本のマンガ 世界に通じる魅力と背景
今夏、大英博物館でマンガ展が開催された。日本のマンガは海外でも人気を博し、ポップカルチャーの一つとして発展してきた。年代や性別、国籍を超えて親しまれる日本のマンガの魅力とは何か――。研究の第一人者で、特に手塚治虫氏について詳しい同志社大学の竹内オサム教授に、発展の背景と、現代のマンガが映す時代性について聞いた。
新鮮さを与える表現が次々 アニメとゲームを成功に導く
――世界でも人気がある日本のマンガは、どのように発展してきたのですか
1945年に戦争が終わり、その後、10年周期で大きく変化してきました。戦前は物語の起伏がある長編はほとんどなかったのですが、戦後すぐに手塚治虫という天才が現れ、小説や映画に匹敵する長編マンガを作り出していきました。下地になったのは、戦前の少年小説や映画、文学で、SFや冒険譚(だん)、お涙頂戴(ちょうだい)ものなどの素材を次々とマンガに変えていったのです。こうして確立されたのがストーリー・マンガです。
それが一つの起爆剤となり、続いて60年代には、大阪の作家たちが劇画という新しいジャンルを打ち立てます。人物画は丸くかわいらしい絵を離れ、八頭身や九頭身のリアルな絵を描き、日常生活に地続きの犯罪ものや生活苦といったテーマを開拓しました。この劇画は、現在、マンガの主流です。
さらに10年後の70年代には、全く異なるジャンルが生まれました。若い女性作家による少女マンガです。この分野でも、それまでは男性作家が中心でしたが、竹宮惠子さんや萩尾望都(もと)さんのような「花の24年組(昭和24年生まれ)」と呼ばれる若い作家が登場し、同世代である若い女性たちの心をつかみ、人気を得ていきました。戦後すぐから、ここまでが日本のマンガ文化の成長期です。
80年代以降は成熟期に移ります。この頃、乾いたタッチでSFを描き、後世に影響を与えたのが、『童夢』『AKIRA』などで知られる大友克洋さん。90年代以降はアマチュアの愛好家が既存の著作物を脚色して別のストーリーを二次創作する同人誌が発展しました。コミックマーケット(同人誌の大規模な即売会)が非常に盛んになり、そこからプロになる人が出てきます。2000年代以降は、それまでに打ち立てられたジャンルが枝葉のように広がり、細分化していくのです。
日本のマンガが世界に通用する一つの理由は、こうした重層的な発展による表現の厚みがあるからだと思います。私は「引用と加工」という言葉で表しているのですが、既存の物語や技術のオマージュの繰り返しによって、日本のマンガ表現は非常にダイナミックなものへと変化し、洗練されてきました。作家たちが尽くしてきたさまざまな工夫が、海外では新鮮に映り、日本のマンガは世界に広がっていくのです。さらに面白いことに、マンガを基にアニメが、アニメを基にゲームが制作されていきました。マンガ文化の蓄積があったからこそ、アニメもゲームも成功したと言えるでしょう。
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