カズキが教えてくれたこと ~共に生きる、友と育つ~ (12)最終回 写真・マンガ・文 平田江津子

惜しみなく人と出会っていく私でありたい
重度知的障害、自閉症と診断されている息子・カズキは現在21歳。高校卒業後、彼は生活介護事業所に通い軽作業などの仕事をしています。
これまで、「障害児にふさわしい、手厚い」と社会側から提示されてきた場を選ぶことなく、きょうだいや地域の子どもたちと同じ場で学び過ごしてきた彼です。障害のある方が集まる場へ行くことに、もしかしたら違和感を持っているかもしれませんが、今は社会の仕組みの中で生きていくしかありません。どんどん地域に出て行くことで彼の生きる場を広げていきたいと思い、休日の買い物はもちろん、講演活動や行政との懇談など、どこへでも彼を連れて行きます。

旭川教会会員のみなさんと(写真中央がカズキさん)
お気に入りの行き先の一つに、「佼成会の道場」があります。その日に行く場所を「マル、バツ」で選択する彼は、候補の中に教会があると必ず「教会マル!」と言います。思えば、生まれたときから教会へ通い、皆さんに子守をして頂いて育ちました。会員の皆さんはニコニコとカズキに寄っていき、普通に話しかけ、ハイタッチをするなどして挨拶を交わします。堂前惠司教会長さんは、彼が電気のスイッチを触るのが好きなことをご存知で、「明かりをつけてくれるかな」とお願いする姿をよく見かけます。教会は彼にとって、自分の“そのまま”を受けとめてくれる数少ない場なのかもしれません。

思えば、カズキが幼い頃、外食に行った記憶がありません。公園で遊ばせるのも、誰もいなくなった夕方、暗くなりかけてからでした。彼の突飛な行動や独特な声を発したときに浴びる周りからの冷たい視線も、「ご迷惑をおかけします」とおわびをして歩くのも当たり前。自分の傷ついている気持ちに蓋(ふた)をして、「世の中そんなものだ」とあきらめて過ごしていた私でした。そうした中でも、かすかな可能性にかけ、中学校からカズキを普通学級に移籍させたいと決意。毎日みんなと共に学び過ごすうちに、クラスメイトにとってカズキは「特別な存在」から、いたって「普通の仲間」に変化していき、どんどん友だちが我が家に遊びに来るようになったのです。そんな彼らと出会った私は今、インクルーシブ教育は社会を変える希望であると “伝えること”をあきらめきれなくなっています。
「違い」の幅が大きいほど、共に生きていくのは至難の業です。どう工夫したら一緒に過ごせるか、といった話し合いが欠かせません。その積み重ねが相手の事情や背景を知ることにつながり、それがお互いの理解を深め、結果的にその場は誰もが生きやすい「居場所」となっていきます。この営みが、できるだけ幼い頃から当たり前にできたならば――インクルーシブ教育は、不登校やいじめ、自殺という社会問題に一石を投じることができるのではないかとも思うのです。
すべての人が互いの存在を了解して尊重し合う、それを体現するのが「人権モデル」と言われ、障害者権利条約がめざす理念です。命そのものが「仏性」であると、どんな人をも拝み切る常不軽菩薩のまなざしと通ずるものを感じます。カズキが教えてくれたことは、これから出会う人々へ希望を与えることにつながると信じ、惜しみなく人と出会っていく私でありたいです。(了)
プロフィル

ひらた・えつこ 1973年、北海道生まれ。1男3女の母。立正佼成会旭川教会教務部長。障害のある子もない子も同じ場で学ぶインクルーシブ教育の普及を目指す地元の市民団体で、同団体代表である夫と二人三脚で取り組みを進めている。





