立正佼成会 庭野日鑛会長 9月の法話から
老いてなお学ぶ
今、私は数えで88歳の米寿を迎えた老人として、いかに老いるか、老人になっていくかということを考えております。老人になるということは、それだけ人生経験が長いわけですから、その間にいろいろな考え方や思想を身につけ、「学ぶ」ということに関しては、相当学んできているはずです。私などはとても十分に学んだとは言い切れませんけれども、若い人たちに比べたら、多少は多くのことを学んできております。ですから、まず、私たちは老いることを嫌ってはいけないのだということです。
お年寄り自身も、何となく、老いてしまってもう何もできないと、弱音を吐くことがあります。そうでなくて、老いれば老いるほど、若い人たちにも教えていくような気持ちで、大事なことをしっかりと常に学んで、物事をよくよく分かっていく。生きる限りは学ぶということが「老計(ろうけい)」、老人の計画の中では一番大事なことだと教えられております。
学ぶということは、考えるということであり、それだけその人の思想が深くなっていきます。だから、ただ老いる、年を取るだけではなく、考え方が深くなり、人生のいろいろなことが分かり、それを伝えていく、そうしたことがとても大事であります。私も今、そんな気持ちで、自分なりに学びつつ、皆さまにもお伝えをしていきたいと、そんな思いでいっぱいであります。
(9月1日)
旦那
一家の主人のことを「旦那(だんな)」と言います。私たち仏教徒にとって、旦那という意味はとても大事であります。この旦那というのはよく調べてみますと、インドのサンスクリット語の「ダーナ」という言葉に由来するものであり、そこには布施という意味もあります。布施とは、仏教でいうと菩薩の六波羅蜜(ろくはらみつ)の最初にこの言葉があります。菩薩が布施をするということは、一家の主人が、一家の経済的な支え、また精神的な支えとなることです。インドのサンスクリットの「ダーナ」を漢字「旦那」にして、これには音訳も入っているわけですね。布施とは、精神的なことでは、慈悲心とか情け、思いやりという意味があります。ですから、布施というのは、家族に対してだけでなくて、職場や地域社会、国や世界においても、慈悲心のある、情け深い思いやりを持って働く、ということです。一家の主人がしている働き、そのダーナから来ているのです。
臓器移植などをする時の「ドナー」という言葉がありますけれども、これもどうも旦那から来ているようであります。人に慈悲心、情け、思いやりをかける、そしてまた具体的にいろいろな臓器を提供する、基金を贈呈する、そういう役割も意味しているのです。
(9月15日)