立正佼成会 庭野日鑛会長 9月の法話から

9月に大聖堂で行われた式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋しました。(文責在編集部)
日常生活が仏道修行
私たちは、仏さまの教えを頂いて修行しておりますけれども、教えとは「一切(いっさい)衆生悉有仏性(しゅじょうしつうぶっしょう)」ということです。一切衆生とは、人間だけではなくて、天地自然、全てのものが仏性そのものだということであります。人間であるわれわれは、言葉を持ち、また心というものを持っておりますから、そうした仏性に気づく、自覚するということができ、仏教はそれが全てであるとさえ言われております。持っていないものを自覚することはできませんが、すでに持っているものを自覚するわけですから、私たちは生きているうちにその自覚を深めていく、そのことが根本的に大事であると思います。
そして、私たちは仏教を自分の日常生活に生かし、教えを実行させて頂いております。きょうの説法者のように、親がいて、子どもさんがいて、親が子どものことをいろいろ心配して、どう育てていくかと真剣に考える――それがもうすでに仏道修行であります。それはお互いの仏性を自覚しつつ、親も子も育っていくということです。親として、子どもとして、一緒に修行しているそのことがもう仏道修行であり、親が子どもを育てることも、一つの衆生救済活動です。実際の日常生活の中で、親が子どものことを心配しながら、子どもをよく育てていくという修行そのものが仏道修行である。そういうことだと私は受け取らせて頂いております。
私たちの日常生活がそのまま仏道修行になる。それが私たち在家仏教徒の修行であると、私はいつも思っており、皆さまにもそのように申し上げているわけであります。
(9月1日)
「なんでなんで」
スペースシャトルに搭乗した日本人宇宙飛行士の山崎直子さんという方がおられます。その方が子どもさんのことを、こういうふうに述べられています。これは2016年4月頃の新聞(日本経済新聞)に載っていたものです。
「なんで話すと聞こえるの。なんで漕(こ)ぐと自転車は進むの。私はママから産まれたの? じゃあママは誰から産まれたの。そのまたママは? 地球は誰から生まれたの。そのずっと前は、私たちはどこにいたの。4歳の次女の『なんでなんで』質問攻撃である。長女の時もそうだったが、無垢(むく)な疑問だからこそ、実に本質を突いていて、はっとさせられることばかりだ。
例えば音。それは空気が震えて耳に届くから……。空気って何。誰が空気を作ったの。一つの疑問は更なる疑問を呼ぶ。脳の神経回路が80%まで急成長を遂げるといわれているこの幼児期、子供は誰もが好奇心にあふれている」
このように述べられています。みんな幼い頃は童心、無垢な、純真な「なんでなんで」という心を持って過ごしてきたわけであります。成長して、大人になってくると、こうした「なんでなんで」という疑問をあまり感じなくなってしまいます。幼い頃の、童(わらべ)の頃の「なんでなんで」ということは、私たちが生きていく中で、本当は一番大切なことでありますけれども、年を取ってくると、だんだんとそうしたことを忘れてしまって、ただぼさっとして生きてしまいます。私などは今、月に最低2回は(法話で)、皆さんにお話をしなくてはいけないから、ぼさっと生きていられなくなってしまったのですね。この子どもさんたちのように、「なんでなんで」をいっぱい学んでおかないと、皆さんにお話ができません。
(9月10日)