立正佼成会 庭野日鑛会長 6月の法話から

自分を尊重する

私たちは、仏さまをお参りすることは、よくよく深く考えてみると、それは自分を拝むことである、と教えて頂いております。「悉有仏性(しつうぶっしょう)」――全ての人、人だけでなくてあらゆるものが、仏性そのものだと、仏さまは教えてくださっているのです。

自分を本当に拝む気持ちのある人は、人さまとあいさつをするときも、人さまを拝む気持ちであいさつができる。自分を尊ばない、尊重しない人は、どんな人をも尊重できないということであります。私たちが仏さまをお参りするのも、それは自分と同じ仏性をお参りするということにもなりますから、自分を拝む気持ちが本当に徹底されないと、人さまとのお互いの交わりも本当の意味ではできないのであります。

私たちは、仏さまは素晴らしい、しかし自分は至らない、と言います。もちろん至らないのですけれども、しかし、私たちが尊い仏さまを拝む、その心があるということは、いかにそれが尊いものかがわかるということであります。お互いの心にもその尊いものがあるということを、悉有仏性と教えられております。自分を尊重しない人は他の人も尊重できない――私たちはそのことをいつもしっかりと捉えていかなければならないと思います。
(6月15日)

宇宙は一大経巻

天台宗のお座主さまのようにご高齢の方々が要職をなされるということは、本当にすごいことであります。

「人生は絶えざる学業である。社会や宇宙はそのままに一大経巻である」とも教えて頂いております。私たちは法華経という経巻を毎日、読経しますけれども、社会や宇宙そのままが一大経巻であるから、絶えず私たちはいろいろなことを学んでいかなければならない、そういう言葉であります。

お座主さまたちがそのようなご高齢になられて、その職を務められるところには、そうした精神が流れているのではないかと、本当に素晴らしいことだと思います。そのようになっていきたいと、そんな気持ちでいっぱいでございます。
(6月15日)

「死」とは創造への参画

これは、医学者で京都大学の総長をされた平澤興(ひらさわこう)先生の言葉であります。

「人間は死ぬ。死とは、大自然より与えられた生命が、元の大自然にかえり、大自然の一部にかえり、再び大自然の建設に参画する。これは『無』にかえるのではなく、新しい大自然の創造に参加するのである」

私たちは、死んだらもう何もなくなってしまうのではないかと思いがちでありますが、平澤先生は、このように述べておられます。こういう言葉を頂くと、「死ぬ」ということも本当に大切なこととして受けとめさせて頂くことができます。死とは無常であり、私たちは何となく暗い気持ちになりますけれども、それは大自然の創造に参画することであり、大自然の役に立っているのだということです。しっかりと「死」を捉えていくことが大切ではないかと受け取らせて頂くのです。
(6月15日)