カズキが教えてくれたこと ~共に生きる、友と育つ~ (6) 写真・マンガ・文 平田江津子

「ひとりの生徒」として関わってくれた担任

小学校の卒業を間近に控えた頃、カズキに、中学校の就学先に関して「特別支援学校適」と書かれた入学指定通知が届きました。小学校6年間を特別支援学級に在籍していた経験から、学ぶ場を分けると、いくら交流をしてもどこかに“壁”があるように感じていました。「このままでは、カズキが地域社会で生きていくための素地ができない」と実感した私たち夫婦は、教育委員会に出向き、思い切って「普通学級」への転籍を希望しました。専門家から多少の反対があったものの、話し合いによってそれを叶(かな)えることができました。

旭川市ではほかに例のないことであったため、学校側の不安も大きかったと思います。しかし校長先生は、入学前の意見交換の場で、「やってみましょう。何かあったらその都度、話し合いましょう」とおっしゃったのです。今まで、「なぜ普通学級なのですか?」「難しい授業への参加は、かえって彼がかわいそうなのでは?」といった、苦々しい教員たちの表情と言葉しか受けてこなかったために、校長先生の発言は、「私が、ずっと欲しかった言葉だ!」と涙が出るほどうれしいものでした。

二つ目の衝撃は、担任・曽我部昌広先生との出会いです。

曽我部先生(左)とカズキ

入学当初、学校に着くと制服を脱ぎ散らかし、教室を飛び出し、言葉も発しないカズキでした。それに対し、「まるで昔の不良みたいだ(笑)。でもどんな不良でもしっかり関われば分かり合えたから、カズキも大丈夫」とおっしゃった先生には、目からうろこでした。カズキを「障害児」ではなく、「ひとりの生徒」として扱った初めての教員でした。

カズキを信じ、長い目で見守ってくれた成果は間もなく現れ、カズキは制服をしっかり身に着け、授業中に立ち歩くこともなくなりました。

今までであれば、カズキの「困った」とされていた行為も、曽我部先生が語ると「おもしろい! 楽しい! すごいヤツだ!」に変換されます。カズキのみならず他の生徒のことも、その子の魅力を感じ取ってクラスのみんなに紹介。「ちゃんとさせる」より、「互いを理解し合う」ことに注力されていました。

また、先生自身がわからないときや困ったときは生徒に相談し、対策を一緒に練るのです。生徒たちはのびのび・イキイキと自分の持ち味を発揮しているように見えました。学力面のみならず、体育祭や学校祭ではクラス優勝の場面が多く、総合的な力が伸びていったのを目の当たりにしました。

これはまさしく、信仰に生きずとも先生自身が実践される「仏性礼拝(らいはい)行」によって、子どもたちの力・仏性が引き出された姿であると感じずにいられません。

曽我部先生が教えてくれた「人との向き合い方」は、今でも私のお手本となっています。

プロフィル

ひらた・えつこ 1973年、北海道生まれ。1男3女の母。立正佼成会旭川教会教務部長。障害のある子もない子も同じ場で学ぶインクルーシブ教育の普及を目指す地元の市民団体で、同団体代表である夫と二人三脚で取り組みを進めている。