立正佼成会 庭野日鑛会長 4月の法話から

毎日を新鮮な心で迎えよう

天明茂(てんみょう・しげる)という方の『挨拶(あいさつ)で変わる 会社が活きる』という本を読んでいましたら、「朝」という字について、こう言っておられました。

『「朝という字は十月十日(とつきとおか)と書く。十月十日というのはお母さんの胎内に居る期間であり、誕生の日でもある。朝がいつも誕生の日という新鮮な気持ちで挨拶することが大切」と。毎日が誕生日という気持ちで生活できればどんなに素晴らしいことだろう。』

私たちはみんな、朝誕生した、今誕生したという気持ちで、元気であいさつをすることが大切です。
(4月15日)

画・茨木 祥之

授かったいのち

貝原益軒(=かいばら・えきけん、江戸時代の本草学者、儒学者)先生は、有名な『養生訓(ようじょうくん)』で、こう言われています。

「人の身は父母を本(もと)とし、天地を初(はじめ)とす。天地父母のめぐみをうけて生(うま)れ、又(また)養はれたるわが身なれば、わが私(わたくし)の物にあらず。天地のみたまもの、父母の残せる身なれば、つつしんでよく養ひて、そこなひやぶらず、天年(てんねん)を長くたもつべし」

現代的に言うと、「いのちは授かりもの。人の身体(からだ)は父母を本とし、天地を初としたものである。天地父母の恵みを受けて生まれ、また、養われた自分の身体であるから、私のもののようであるが、決して私だけのものではない。天地のたまものであり、父母が残された身体であるから、つつしんでよく養い、痛めたり壊したりしないで、天寿を長くたもつようにしなければならない」となります。

私たちは釈尊の教えを頂き、また、受けとった教えが本当に有り難い教えであると分かる、そういう人間として今生かされていることに感謝をしなければなりません。今月は降誕会の月ですので、私たちはそのことをしっかりと心に据えて精進させて頂きたいと思います。
(4月15日)

当たり前をかみしめて

ある新聞(産経新聞)の、『朝の詩(うた)』という中に今年の元日に起こった能登の震災の後に、「水」ということで、こう述べられています。

 「水」

 震災に遭われて
 水道が止まり
 たくさんの方々が
 大変な苦労を
 強いられた
 再び水を得た方が
 水道に手を合わせ
 涙されていた

 蛇口をひねれば
 水が出るという
 当たり前の暮らしは
 奇跡に近い日々だと
 気づかされた

これは大阪の77歳の方の詩です。

本当に私たちの生活では、蛇口をひねれば水が出ます。日本の水道の水は世界一きれいだと言われています。それを私たちは、当たり前のように感じていて、出しっぱなしにしたり、無駄遣いしたりすることが多いようです。

こうして震災のときに、断水でなかなか水が使えなかった、水が出て、水道に手を合わせて涙されているという様子を伺うと、いかに私たちが日ごろから水を無駄にしているか、反省しなければならないと思います。
(4月15日)