立正佼成会 庭野日鑛会長 3月の法話から

佳書を読もう

年頭に、自分に言い聞かせたことの一つに、「一佳書(かしょ=よい本)を読み始めよう」というのがあります。1冊だけでなくて何冊も読みたいのですけれども、そういうよい書物を心に受けとめたい、そうしたものに巡り合いたい、読み始めたい、そんな思いがします。

皆さんも、素晴らしい書物を読ませて頂いた、と言えるものを読み始めてみませんか。書物からよい影響を受けることにより、人間としての徳、情操が自分のものになります。そういう書物に巡り合うことによって、自分を変えていく、新たにしていく。そんな気持ちで、精進させて頂きたいと思っています。
(3月1日)

画・茨木 祥之

いのちのバトン

開祖さまは、満92歳でお亡くなりになりました。私はそのいのちを引き継いで、今年86(歳)を迎えます。

言ってみれば、開祖さまからバトンを受けて、自分の生涯を走り続けている、精進をさせて頂いている――そのように受け取っています。

私たちは、今日まで何億年も続いてきた人間のいのち、ご先祖さまから引き継いだいのちを今、生きているわけです。皆さま方の家庭においてもそうでしょう。親御(おやご)さん、ご先祖さまからバトンタッチされたいのちを引き継いで今生きています。

一人の生涯は、長生きする人もいるでしょうし、短い人もいるでしょう。みんな生涯の長さは違います。また、ちょうど水泳のメドレーリレーに背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライ、自由形と4種目があるように、みんなそれぞれの性格は違います。それぞれの泳ぎでバトンタッチしながら、メドレーのリレーをしているとも考えられるわけです。

私たち人間のスタート(起源)はどのくらい昔であったか、本当には分かりません。そしてまた人類が、いつまで宇宙に、地球上に生き延びることができるのか、それも定かではありません。しかし今、ご先祖さまから、父母からバトンを頂いて、お互いに人生を歩いている、走っていると言うことができます。

こうしてきょう、86周年を迎えました。皆さんと共に、これからもまた歩き、あるいは走る、そうした精進をさせて頂きたいと思います。
(3月5日)

善に働くように

お話ししたいことの一つに、仏教で教えられている「三性(さんしょう)の理」があります。善と悪の間、その真ん中に「無記(むき)」があると教えられています。

一番分かりやすいのは「ドス」(刃物)です。人を殺す「ドス」があります。それを善い方に使えば、病院でお医者さんが手術をするときに使う「メス」になります。それを、ただ先が尖(とが)った鉄のへらと見れば、それは善とも悪とも言えない。無記とはそういう意味です。

「ドス」を「メス」の方に使うことは、無記を悪い方に生かさないで、善い方に生かすことであり、このことが大切だということです。

人間の心の状態に正義感があります。この正義感が悪い方に行くと、戦争になってしまい、善い方に行けば平和になります。

そうしたことの一つに、日本で大正15年から昭和4年ごろまで、「説教強盗」と言われた泥棒がいた話があります。東京の中野や新宿などに出没し、戸締(とじま)りの悪い家に押し入って、現金や貯金通帳などを持って行ったそうです。その人は捕まって、もちろん牢屋(ろうや)に入りましたけれども、釈放されたあとに心を入れ替えて、今度は防犯のために講演するようになりました。「こうしたら泥棒に入られますよ、だからこういうふうに戸締りをしなさい」と。このことは、お巡りさんよりもよく知っているわけですね、泥棒の経験があるわけですから。その経験を生かして講演をしたのです。

ですから、この人は、人間としては無記であって、泥棒をしたときは悪人であったわけです。そして、「ちゃんと戸締りをしていないと泥棒に入られますよ」と講演までして人さまに教えていたときは、善になります。ですから、悪人だと思っていた人も、改心して、善の働きもできるのだということです。

私たちの心は複雑ですが、せっかく人間としてこの世に生を受けたのですから、善に働くような心の使い方が大切であると教えられています。
(3月15日)