立正佼成会 庭野日鑛会長 1月の法話から

1月に大聖堂で行われた式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋しました。(文責在編集部)

日々、新鮮に

自分の体一つをとってみても、日々、新陳代謝しています。毎日毎日、古いものが次第に去って、新しいものがこれに替わっているわけです。人間は年をとると老いる、老人だと言っていますけれども、一日一日、新しい人になるということであります。

中国の古典『大学』の中の「湯(とう)の盤銘(ばんめい)」に「苟(まこと)ニ日ニ新タニ、日日(ひび)ニ新タニ、又、日ニ新タナリ」という大変有名な言葉があります。自分もあらゆるものも日々新しくなっているわけです。私たちは、そうしたことを鑑(かんが)みて、一日一日を大事にして、新しい人になっていくという気持ちで精進させて頂きたいと思います。
(1月1日)

実りある一年に

年の初めというと、こんな歌を思い出します。

「これをして かれをしをへて かくしてと 歳の首(はじめ)は たのしかりけり」

作者の佐久良東雄(さくら・あずまお)という方は、幕末の有名な歌人です。

あれもこれもしたい、そして、あれをこうしたいとか、そういうことを考えると、とても「歳の首はたのしかりけり」という歌であります。今年は何か自分のしたいことに向かっていきたいと、そんな感じを受ける歌です。

しかし、あれもしたい、これもしたいと思っているうちに、どんどんどんどん、日が過ぎてしまいます。具体的にしっかりとしていくには、「一日は一生の縮図なり」と、一日一日を大事にしていかなければなりません。きょう一日を、どのように真剣に生きていくかが大事です。
(1月15日)

今いる所が仏道を歩む場

立正佼成会は在家仏教ですから、「即是道場(そくぜどうじょう)」が大事ではないかと思います。「當(まさ)に知るべし、是(こ)の處(ところ)は即(すなわ)ち是れ道場なり」。ですから、自分の家庭が道場である、また働いている人は、職場に行けばそこが道場にもなるわけです。

「是の處」という、自分が今いるところが道場であり、その場で一生懸命、真剣に生きる。これが、一日を大事にしていくもとになります。「即是道場」という短い言葉の中に、在家仏教者の大事な意味合いが教えられているのです。

私たちは読経供養の最初に、その一番大事な「道場観」をあげています。そのことにも気づいて、一日一日を大事にしていきましょう。
(1月15日)

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