立正佼成会 庭野日鑛会長 9月の法話から
毎日が真新しい一日
北畠親房(きたばたけ・ちかふさ)という南北朝時代の方が、こういう言葉を述べられています。
「天地(あめつち)のはじめは今日(きょう)をはじめとする理(ことわり)あり」
天地(あめつち)とは、もちろん天地(てんち)、すなわち宇宙ということです。それが、「天地のはじめは今日をはじめとする理あり」ということですから、今日はじまるんだ、はじまったんだということです。現在の科学では、138億年前のビッグバンによって宇宙は現れたといわれています。それを、宇宙は今日起こった、はじまったと言うのです。
宇宙は138億年前から、毎日毎日、どんどん創造変化しています。ですから、私たちがその日その日を、宇宙がはじまった、天地がはじまった、そういう新鮮な気持ちで迎えていく。それが、この言葉の意味合いだと思います。本当に真新しい一日として、きょうを過ごさせて頂きたいなと思っています。
(9月10日)
今を大切にして学び続けよう
ある時、こういう言葉に出合いました。
「聖者(せいじゃ)は
『天の道』に学び、
賢者(けんじゃ)は
『地の理』に学び、
知者(ちしゃ)は
『古き人』に学ぶ。
『学ぶ者』は
『学ばぬ者』に学び、
『学ばぬ者』は
『学ぶ者』に学ばず。」
聖者、聖人と言われる人たちは、天の道、天地自然の道に学ぶ。仏さまの教えもそうです。そして賢者は地の理に学び、知者は古き人に学ぶ。古(いにしえ)の人たちの古典から学んでいくということです。
それから、学ぶ者は学ばぬ者に学び、学ばぬ人は学ぶ者に学ばず、と。学ばない人は何からも何も学ばない、そういうそれぞれの境地がここに込められているように思います。
「聖者は天の道に学び」とありますが、私たちは聖人であるお釈迦さまの教えを頂き、そうした有り難い道を今、歩ませて頂いています。
お釈迦さまのお言葉の中に、人間の一生とは一刹那(せつな)だとあります。一刹那とは、ほんの一瞬のことですね。ですから、過去の行動を悔やんだり、また、将来はこうなりたいと願ったりするのではなく、今を大事にすることを教えてくださっています。今、目の前の全ての人、もの、状況に対して心を込めるということが大事です。
今が過去になり、今が未来になります。今、この一瞬に心を込めずに、いつ、誰に対して心を込めることができるか。そういうことで、釈尊は、一日一日がいかに大事な日であるかを教えてくださっています。一日は私たちの一生なんだ、一生と等しいのだということであります。
江戸初期の中江藤樹(なかえ・とうじゅ)という方は、日本で聖人と呼ばれた、ただ一人の人だともいわれています。その中江藤樹先生がこういう言葉を述べておられます。
「くやむなよ ありし昔は 是非(ぜひ)もなし ひたすらただせ 当下(とうか)一念」
ちょっと言葉としては難しいのですが、文字を読んでみると分かります。訳すと、「過去の出来事をいろいろ後悔しても致し方がない。それよりも今まさに自分の心を正すことが大切なのだ」ということです。
私たちはややもすると、過去の出来事をいろいろ後悔します。後悔しても、もう始まらないわけですから、今日一日を一生懸命に生きていくというふうに、心を正すことが大切だと教えてくださっています。
私たちも毎日、そうした反省をしながら、聖人あるいは賢人といわれる方々の言葉を通して、日々の生活を正しくし、皆共に精進させて頂くことが大切であると思っています。
(9月10日)
ありのままを受けとめる
盤珪(ばんけい)禅師という方が、「人間の生まれたままの本性(ほんしょう)は鏡のようなものだ」とおっしゃっています。
鏡の中には何もない。しかし、ものが来れば、何でも映ります。そして、それが去れば消える、と。
鏡自身は、美しい花を映そうが、汚物を映そうが、鏡自体は汚れもしない。汚れず清からず。ものが映っても、消え去っても鏡の目方は減りもせず、増えもしない。鏡は、不生不滅(ふしょうふめつ)、不垢不浄(ふくふじょう)、不増不減(ふぞうふげん)。それで鏡は鏡の役割を果たしているということです。
私たちは自分の心を見つめて、今、自分は迷っているなどと反省をするわけですが、鏡のように、何でもそのまま映す、そういう心を持ち、それによって動揺しない人間になっていくことが大切ではないかと思います。
(9月15日)
全ての人が唯一無二の存在
富士山は、普通、富める山、「富士山」と書きます。昔は、二つとないということで「不二(ふじ)」、あるいは、盡(つ)きることがない「不盡(ふじ)」とも書き、万葉の時代には「死」という字を下に書いて「不死」、それが濁って「ふじ」、そういうふうに富士山を呼んだということです。それだけ素晴らしい山だということであります。
人間一人ひとりも、富士山と同じように、みんな素晴らしいと教えられています。仏教では、釈尊がお生まれになった時に「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と誕生偈(たんじょうげ)を唱えられたと教えています。これは、釈尊だけでなく、人はみんなが「唯我独尊」だということです。
全ての人が、この地球上に、あるいはさらに拡大してこの宇宙に、たった一人しかいないのであり、そうした一人ひとりを大事にしていきましょうということです。
(9月15日)