立正佼成会 庭野日鑛会長 6月の法話から
人間に与えられた心を磨く
人間が心を持つに至ったことは、とても大事なことです。
私たちは「人間だから、心を持っているのは当然だ」と思いがちですけれども、この心、精神、あるいは魂、そういうものを持つに至るまでには、人類がこの世に誕生してから何十万年もかかったといわれています。そうして、ようやく心が出来上がってきたのです。
その重要な一つの条件として、人間には言葉があります。言葉を使うことによって、さらに心が発達してきたわけです。ですから、私たちは心を大切にしますし、さらに言葉、言葉遣いなども大切にしていかなければなりません。そうして絶えず学んで、常に向上を目指していくのが人生だと思います。
しかし、最近ではAI(人工知能)というものができ、便利になって、それに聞けば何でも教えてくれるということで、どうもこれから、人間がなかなか自分の頭脳を使わなくなってしまうのではないかと心配されています。そうしたことのないように、私たちは自ら仏さまの教えに順(したが)って、善いことを考え、また人さまの悲しみが少なくなるように願って、精進をさせて頂きたいものです。
(6月1日)
具(そな)わった仏心を大事に
日本では「慈悲」と続けて読みますが、古代インドにもともとあったパーリ語で読むと、「慈」と「悲」それぞれに意味があるということです。
「慈」のもともとの意味は、「人に安らぎを与えてあげたいと心から願う」ことです。心から願うという視点、これが大事です。ここでは、「安らぎを与えてやる」というような傲慢(ごうまん)さがありません。寄り添う気持ちで満ちているのが「慈悲」の「慈」であります。
それから「悲」は、「相手の苦しみを取り去ってあげられたらいいなと心から願う」ことだそうです。「相手の苦しみを取り去ってやる」という傲慢さはありません。ただひたすら寄り添うという心、これが「慈悲」の「悲」の意味であると教えて頂いています。
「慈悲」とはそうした意味でありますし、お釈迦さまの思想の根底は「慈悲」であり、さらに最終的には人のいのちを傷つけない「不殺生」と結びついています。いのちを失うことは悲しいことであり、その中で、相手を慈しみ、苦しみ、悲しみを取り去ってあげたいなと心から願うのが「慈悲」ということですから、私たちも仏さまの「慈悲」の深い意味合い、そういう精神を自分のものにしていかなければなりません。
二宮尊徳翁(おう)=二宮金次郎の別名=のこういう歌があります。
「おのが子を恵む心を法(のり)とせば 学ばずとても道にいたらむ」
私たちはもちろん、仏さまの教えを学んでいますけれども、「おのが子を恵む心」、その心さえあれば、学ばなくても、道に至ることができる、ということです。
「この世において親の子を育む愛情ほど、尊いものはないということであります。これが宇宙の法則であり、これが天意にかなった菩薩の仏心にかなうものだから、この信念切々たる思いを保ちつづけるならば、何も特別の勉強をしなくても、道を究(きわ)めることが出来ましょう」――そういう思いが、この二宮尊徳翁の歌の中に込められています。
(6月15日)