立正佼成会 庭野日鑛会長 3月の法話から

3月に大聖堂で行われた式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋しました。(文責在編集部)

当たり前の中にある有り難さ

教育者・森信三氏のこういう言葉があります。

「朝、私たちが目を覚ました瞬間に、それまで眠っていた何時間の間、自分としては呼吸一つしようとはしなかったのに、息をし続けて来たという事と、もう一つは、その長い間ズッと血液が循環して、一瞬もとどまらなかったという事と、この二つによって、私たち人間は、大いなる力によってこの身が支えられているという事の証拠を示されていると思うのです」

「つまり如何なる人にも絶対に狂いなく分(わか)るのは、血液の循環と呼吸です。現に人間の生命が終(おわ)った(死亡)ということも、医師はこの二つによって判断をするのです。それはこの自分一人だけでなく、お互い人間は、その一人残らずが、いずれも、大いなる力(神仏)に支えられているわけです。つまり、一人ひとりの人間を、内から支えている力は、根本は同じところから出ているわけです。そうした絶大な事実を一日に何度想い出すかは、その人の宗教観をはかる一つのバロメーターだと思います」

呼吸と血液の循環、これを私たちはほとんど当たり前だと思っています。しかし、日頃の当たり前のことの中に有り難いことがあり、私たちのいのちの中にそれがずっと繰り返されて、生かされているのです。宗教的に言えば、大いなるものに生かされているとなります。当たり前の中に不思議なこと、有り難いことを発見して、日頃生活できれば、また元気が出てくるのではないかと思います。
(3月1日)

いつも「元気」を心がけ

今年は、「元気で精進をしましょう」と申し上げています。ある本に、「元気というものは朗らかである。晴れ晴れして、快活である。だから人間はいつも快活を失わないということ、これがまずもって人間の徳のはじめである」という言葉があります。とても好きな言葉です。お互いさまに元気で、日々感謝をもって過ごさせて頂けるのは、本当に有り難いことです。

今年は、書き初めにも『元氣(げんき)』『素心(そしん)』と二つを書きました。『素心』は昨年も書きましたけれども、『元氣』は今年、新たに書かせて頂きました。教団創立85周年を迎えて、私ども立正佼成会の会員として、お互いさまに元気で精進させて頂きたい、その思いでいっぱいでございます。
(3月5日)

日々の行いによって

佼成学園の創立記念日など年に1回は生徒たちに話す機会がありますので、そのような時にお伝えする『習慣』(木村和夫氏作)という詩があります。私はこれを大事にしていて、生徒たちに伝えています。大人にも、とても大事なことです。こういう詩です。

『習慣』
 
 毎日毎日が習慣づくり
 勉強をサボるという習慣
 勉強を真剣にやるという習慣
 本を読まないという習慣
 本を読むという習慣
 字を乱雑に書くという習慣
 字を丁寧に書くという習慣
 小さな声でぼそぼそと言う習慣
 はっきりとした声でしっかり言う習慣
  
 毎日毎日が習慣づくり
 挨拶をしないという習慣
 挨拶をするという習慣
 他の人の言葉に耳を傾けないという習慣
 耳を傾けるという習慣
 人の悪いところを見つけようとする習慣
 人の良いところを見つけようとする習慣
 自分のことを優先しようとする習慣
 他の人のことを優先しようとする習慣
  
 何気ない一回一回のこと
 何気ない一日一日の積み重ね
 その中で、
 いまのあなたは、作られてきたし、
 これからも作られていくのです。
 どんな習慣を自分のものにしていくか?
 何気ない一回一回のこと
 何気ない一日一日の積み重ね、
 その中にこそ、
 あなたがいるのです。

これを読んでいますと、つくづくそうだと思います。

「人生は習慣の織物である」(アンリ・フレデリック・アミエル。スイスの哲学者、詩人)という言葉があります。

一つ一つの習慣が大事だということ、そして、そういう習慣ができていないと、人間として人格と申しましょうか、心の成長と申しましょうか、そうしたことができないままに人生を過ごしてしまうらしいのです。

そうした意味で、この『習慣』という詩を、生徒の方々にお伝えするだけでなくて、自らも読ませて頂いて反省しているところであります。
(3月5日)

全ての人が仏になれる

私は法華経の中で、『方便品』の「若(も)し法を聞くことあらん者は、一(ひと)りとして成仏せずということなけん」という言葉が一番好きです。

私たちは法華経に出遇(であ)い、お釈迦さまのこの言葉をいつも大事にさせて頂いています。ただ、言葉を大事にするだけではなく、その教えを体解(たいげ)して、自分の身で示していかなければなりません。そうした修行をさせて頂きたいと、つくづく思います。
(3月5日)

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