立正佼成会 庭野日鑛会長 11月の法話から

11月に大聖堂で行われた式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋しました。(文責在編集部)

自分をつくる

信仰をする、信心をするとは、徹底して言うならば「本当の人間になる」、さらにもっと言えば「本当の自分になる」ということです。そうしたことを、私たちはこの信仰を通して、常に繰り返し繰り返し復習しているのだと思います。

真の人間になる、真の自分になるとは、どういうことでしょう。

正直である、親切である、あるいは友情にあつい、そのようなごく普通の道徳を固く守る人こそ、真の偉大なる人間と言えます。もちろん信仰は、仏さまと私たちの関係でもありますが、それはまた人との関係と全く同じです。正直、親切、友情というものを固く守っていくことが、人間社会にとってはとても大事です。

私たちは法華経の教えによって、ご供養をしたり、お導きしたりと、毎日、同じこと、大事なことを繰り返しています。「人生は習慣の織物である」と、アミエル(アンリ・フレデリック・アミエル。19世紀のスイスの哲学者)という人が言っています。日々、人間として大事なことを習慣づけて生きていく、それが私たちの信仰生活でもあります。そうした意味で、一日一日の生活は、一生の生活につながっていく大事なものなのです。
(11月1日)

温かな家庭で心を育もう

中国の『大学』(儒教の書)に、「修身斉家治国平天下(しゅうしんせいかちこくへいてんか)」とあります。自分の身を修め、家を斉(ととの)え、国を治め、そして世界が平和になる、という中国の教えです。私はそこから「斉家(せいか)」という言葉を取り、各家庭がみんな仲良く元気で、また社会と共に、国と共に、世界と共になって精進させて頂こうと、これまで盛んに述べてきました。

ぬくもりのある家庭の中でこそ、幼い子供から大人まで全ての人が育っていき、家が斉うのです。それは大きく言えば、世界の平和の一番もとになる大事なことです。

人間は2、3歳の頃から知能も発達しますし、道徳心という、世のため人のためにという気持ちも、幼い頃から旺盛(おうせい)にあります。そうした童心(どうしん)はとても大事なものであり、幼い頃から家庭の中でしっかりと育まれていくべきことです。そのことが、「修身斉家治国平天下」の中に込められているのです。
(11月1日)

今、ここに生きている不思議

昔、ある僧侶が「如何(いか)なるか奇特(きとく)の事」と質問を受けました。奇特とは、感心なことという意味です。つまり、「何が大事なことか、感心なことか、不思議なことか」という質問を受けたわけです。

すると、その僧侶が「独坐大雄峰(どくざだいゆうほう)」と答えたそうです。僧侶は、大雄峰という山におり、坐禅を組んでおられたのでしょうね。「独坐大雄峰」――この大雄峰に私が座っていること、これが不思議だという答えであったわけです。それはどういう意味かと言うと、特別なことではなく、ここに、ただ自分が座っていることが不思議であるということです。

自分が今、大聖堂にいること、ここに生かされて生きていること、これこそ、深く考えてみたら、本当に不思議なことです。その不思議さに、普段はなかなか気づかないで、何かいいことはないかと考えて、つい過ごしがちです。私たちが今、ここにいることが如何に不思議なことか、大切なことかを常にわが胸に尋ねて生活していくことが、とても大切であると思います。
(11月1日)

【次ページ:「親の姿勢が子に伝わる」「『高齢者の知恵』と言われるように」】