立正佼成会 庭野日鑛会長 4月の法話から

4月に大聖堂で行われた式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋しました。(文責在編集部)

あいさつの意義

なぜ人間は礼をするのか、あいさつをするのかということについて、分かりやすい説明として、「吾(われ)によって汝(なんじ)を礼(らい)す。汝によって吾を礼す」という言葉があります。自分が相手に礼をする、あいさつをする、お辞儀をする、また相手が自分に礼をする、あいさつをする、お辞儀をする。そこには、お互いが人間として尊敬し、尊重し合うという意味合いが含まれているのです。

その意味では、『法華経』の「常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさっぽん)」に示された、常不軽菩薩さまが人さえ見れば合掌礼拝(らいはい)されたことが思い出されます。あいさつ一つにも深い意味合いがあるのですから、しっかりと心を込めてさせて頂くことが大事です。

日蓮ご聖人も、「不軽菩薩の人を敬(うやまい)しはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世(しゅっせ)の本懐(ほんかい)は人の振舞(ふるまい)にて候(そうらい)けるぞ」と言われています。釈尊の出世の本懐は、人の振る舞い、実践行を教えることであり、人を合掌礼拝することが、本当の法華経の精神なのだという言葉です。人と出会った時のあいさつが、いかに大事であるかが分かります。
(4月1日)

心を養う

私たちに心があることは、本当に不思議です。言葉や文字があってこそ心も成長するのだと思います。ですから、人間の頭脳、知能があったから心ができたのではないかと受け取りがちです。しかし、心は、ただ単に知性だけではなく、情というものが含まれています。

そうした精神、心の大切さを一番深く教えてくださったのがお釈迦さまであり、また人類の師匠といわれている孔子さまやキリストさまといった方々です。心を、キリスト教では「愛」、儒教では「仁(じん)」「恕(じょ)」という言葉で教えています。私たちは、仏さまの心として、「慈悲」の心をこれ以上尊いものはないと教えて頂いているのです。
(4月1日)

身を整える

仏教では、慈悲の心、思いやりの心が大切であるとして、私たちは修行し心を磨かせて頂いています。この心も、ただそれだけが成長するわけではなく、やはり私たちは肉体も持っていますから、身も心も一つになっていかなければなりません。

一般的には、「心身(しんしん)」と記しますが、仏教では「身心(しんしん)」と、身体(からだ)の「身」を上に置いて、「心」を下に置きます。仏教では「身」「身体」をきちっと整えると、心も整ってくると教えられています。例えば、坐禅は、しっかりと座っていると心も落ち着いてきて、争いのない心をつくり上げることができます。また、息を整えることを通して、心をしっかりとしたものにしていく、磨いていくということです。
(4月1日)

謙虚に精進しよう

心というものは、見れども見えず、また、ころころと変わってしまうといわれます。私たちにとって心ほど大切なものはありません。その心をいかに磨くかが、仏教においても、どういう道においても大切であります。心を磨いて、大自然、宇宙、あらゆるものが一つなのだと分かる人間になることが、仏さまが私たちに期待されていることであり、仏さまの心なのではないかと受け取らせて頂いています。

江戸時代の高僧である慈雲尊者は、「心とも知らぬこころをいつのまに 我が心とやおもひ染めけむ」という言葉を残しています。自分の本当の心がなかなか分からないのに、それをいつの間にか自分の心だと思い込んでいるという意味です。分かったようで分からない心、それを分かるようにしたいというのが、一つの修行と言えましょう。

宮沢賢治は、「永久の未完成これ完成である」と言われました。いつまでも未完成だという思いで、人生を過ごしていくこと、それが完成なのだという意味です。私たちも「もうこれで分かった」というのではなくて、「分からない、分からない」と受けとめて、いつまでも突き詰めていくことが大事なのです。
(4月1日)

帰依心を忘れずに

きょうは降誕会です。生まれることを「誕生」したと言いますが、お釈迦さまには「降誕」という言葉が使われています。また、古い経典では、お釈迦さまはこの世に生まれた時に、「七歩」歩いたといわれています。

「七歩」には、次のような意味があります。私たち人間は、「六道」、すなわち地獄・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・修羅(しゅら)・人間・天上(てんじょう)という六つの迷いの世界を行ったり来たりしているのだといわれます。お釈迦さまが、生まれてすぐに「七歩」歩かれたのは、そうした迷いの世界を超えている方だということです。その方が、私たちの世界に降りてこられた、誕生されたという意味で、「降誕」と表現しているのです。

それほど、昔の方々はお釈迦さまの「降誕」を尊く思われていました。お釈迦さまの素晴らしさをたたえて、「七歩」歩かれたといわれているのです。私たちも、昔の方々のお釈迦さまに対する気持ち、態度を学んでいくことが大切です。
(4月8日)

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