年頭法話 立正佼成会会長 庭野日鑛

「心田を耕す」という言葉は、結局、本当の自分を知るということに尽きる

(普門館跡地で)

さて、信行方針にも示しましたように、昨年十一月十五日で、開祖さまから法燈を継承して三十年を迎えました。振り返りますと、もう三十年経(た)ったのかという感じが致します。

法燈継承式以来、私は、「一列横隊(いちれつおうたい)。全体が一つになって出発したい」と申し上げてきました。

会員の皆さまは、一人ひとり等しく仏性を持っておられます。私も皆さまと同じように、一人の菩薩として、仏道を歩んでいきたい――その思いを言葉に込めました。

また、法燈継承した翌年の平成四年には、「親戚まわり」と称して、全国の百三十会場を訪問し、信者さんと触れ合う機会を頂きました。

私たちは、誰もが相互に関係し合い、依存し合い、影響を受け合いながら生きています。大きく見れば、人間だけでなく、宇宙の一切合切(いっさいがっさい)が私たちの親戚ということができます。その中でも最も親しい、心の通い合う親戚が、信者さんであることから、「親戚まわり」と言ってきました。

「親戚まわり」という言葉を耳にされた開祖さまは、「親戚という言葉が素晴らしい」「最近は日鑛が喜んで教会に行っている」と大変喜ばれていました。そして、「もっと早く法燈継承すればよかった」と冗談めかして話してくださいました。

しかし、法燈継承から、ほぼ八年後の平成十一年十月四日、開祖さまは九十二歳でご入寂(にゅうじゃく)されました。それまでは、何かあると、開祖さまにお願いしようという気持ちがありました。開祖さまは、自らのご入寂を通して、私たちが自立していくことを促(うなが)してくださったように思えました。

開祖さまの教えを簡潔(かんけつ)に表現すると、親孝行、先祖供養、菩薩行と、たびたび申し上げてきました。

とりわけ菩薩行は、ご法の中心をなすものです。自ら菩提心(ぼだいしん)を起こして、菩薩道を歩むことであります。身近な言葉で表現すれば、慈(いつく)しみ思いやる心で歩むことです。開祖さまが、一番おっしゃりたかったことは、そのことに尽きると思います。

最近は、開祖さまから直接ご指導を頂いた信者さんが少なくなってきました。開祖さまのご指導を通して得られた気づきや救われた体験を、ぜひ多くの方々にお伝え頂きたいと願っています。

法燈継承後、私が一番申し上げたかったことは、本当の自分を知ってほしいということでした。人を論じたり、世を論じたりすることは容易(ようい)です。しかし、最も肝心(かんじん)なのは、自分を見つめ、知ることであります。

では、自分を知るにはどうしたらいいのでしょうか。その意識のもと、私は、教団創立六十周年の時から「心田を耕す」《「心田」(心なる田の意。心は仏の種が植えられるよい場であることから心田といわれる)》という目標を掲げ、皆さまと共に今日まで歩んできました。

人間は、多くの場合、限りがある小さな自分を「これが自分だ」と固定的に捉(とら)え、卑屈(ひくつ)になったり、逆に驕慢(きょうまん)になったりしがちです。しかし、それが本当の自分なのでしょうか。

お釈迦さまもまた、人間として悩み、苦しまれた末に、真理、法を悟られました。ですから、同じ人間である私たちは、本来、真理、法を会得(えとく)する能力も、自ら問題を解決する力も具(そな)えているのであります。

そうした本当の自分を知ることができて初めて、目の前のさまざまな問題も乗りこえることができ、そこから真に生き甲斐(がい)のある人生が始まるのです。

ですから、「心田を耕す」という言葉は、結局、本当の自分を知るということに尽きます。いま、この世に生きている自分は、お釈迦さまと同じ心を持っていること、さらに人生と世界の問題を解決する能力と責任とがあること、その自覚をすることが、何よりも大事なことです。

法燈継承から三十年。そのことを自覚し、生き生きとした人生を送られている信者さんは、確実に増えてきました。一方、まだ本当の自分に気づいていない方も大勢おられます。

さらに手どり、お導きをして、ご法の精神を本当に具現化していける佼成会会員になることを切に願っています。

今年もコロナ禍が続き、本来の信仰活動には及ばないかもしれません。しかし、即是道場(そくぜどうじょう)ーーいま、ここが、わが求道の場、修行の場との意気込みで精進し、そして、社会の最小単位である家庭を斉えて、未来を担う世代と共に成長していきたいものであります。