立正佼成会 庭野日鑛会長 10月の法話から
常不軽菩薩に倣って
日蓮ご聖人のこういうお言葉があります。
「仏法と申(もうす)は是(これ)にて候(そうろう)ぞ。一代(いちだい)の肝心(かんじん)は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品(ふきょうぼん)にて候なり。不軽菩薩の人を敬(うやまい)しはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世(しゅっせ)の本懐(ほんかい)は人の振舞(ふるまい)にて候(そうらい)けるぞ」(『崇峻(すしゅん)天皇御書』)
「仏教の肝心は法華経であって、法華経の修行を説いたのは不軽品(妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十)である。不軽菩薩が人を敬われたのはどういう理由であるか、よくよく考えよ。釈尊の本懐は、人の道――行動・態度を教えることにあったのである」。こういう内容です。
常不軽菩薩はどういう人であったのでしょう。常不軽菩薩品によりますと、昔、威音王仏(いおんのうぶつ)の世に、一切読誦(どくじゅ)等を行ぜず、全ての人を見ると遠くから合掌礼拝(らいはい)して、「私は深くあなたたちを敬う。それは皆、菩薩の道を行じて成仏するからである」と、いつも声高らかに言っておられたということです。すなわち、人々の内心に潜在する仏性を開発すべく、自覚を促す一つの宗教運動であると見られるのです。そして、多くの迫害に遭うも、その行を続け、自分も成仏し、時の大衆を救済したと教えられています。
これは、釈尊の菩薩行の過去世における修行物語として、法華経の二十番に説かれています。釈尊が過去世でなされた修行が説かれているのですから、私たちにとって、この世で人さまを合掌礼拝することがいかに大事であるかということです。
日蓮ご聖人のこうしたお言葉に、元気づけられます。常不軽菩薩の合掌礼拝に倣って、開祖さまはいつも率先垂範されていましたから、佼成会の会員はもちろん、全ての人にとって大事なこととして受けとめています。しっかりと学び、身につけていくことが大切です。
前向きに生きる活力の源
今年も、各教会が周年を迎えています。その時配付されるパンフレットに、私はこんな言葉を寄せています。
「私たちのいのちは、いつ、どのように始まったのでしょうか。
直接的には、父母のお陰で、いまの自分があります。ずっと先をたどっていくと、祖父母、曾祖父・曾祖母、その祖先、そして原始人、サルの一種、数億年前のアメーバにつながるといわれます。もっと先をたどると、炭素や水素、ナトリウムといった物質の原子に到達し、さらに進むと陽子、電子、中性子、中間子という素粒子にまで行き着くそうです」
これは、ロボット博士として知られています森政弘先生(東京工業大学名誉教授、工学博士)から学んだものです。
森先生は「ぼくたちの生命は、お母さんから生まれた時に突然に発生し、死ぬ時に一瞬にしてなくなってしまうと普通に思われているようなものではない。永遠の過去から永劫の未来へと受け継がれてゆく、宇宙の大生命そのものがぼくたちの命なのである。そして同時に宇宙の一切合切がぼくたちの親戚なのだ」と述べられています。
「一切合切が親戚だ」という言葉に、思わずハッとさせられます。私は法燈継承した翌年から、「親戚まわり」として全国をまわりました。森先生のこの本を読ませて頂いて、「親戚」とはいい言葉だと思って、「親戚まわり」としたのでした。そんなことが懐かしく思い出されます。
周年のパンフレットでは、先の森先生の言葉を紹介した後に、こう続けています。
「このことを一人ひとりがしっかり見つめ、いのちの不思議、有り難さを深く自覚することによって、どんな苦難に出遭っても、前向きに生きていく活力(エネルギー)がわいてきます。希望が叶(かな)っても叶わなくても、とらわれずに淡々と生きていく姿勢や覚悟が定まるのです。そして、いま、ここに頂いているいのちに感謝し、明るく、優しく、温かく、しかも厳粛な気持ちで生きていくことこそ、仏さまの私たちへの一番大事な伝言(メッセージ)であります」
現在、日本では“人生百年”といわれていますが、ロボット博士は、私たちの命というものを深く考えて、ただ父母から生まれただけのものではなく、もっともっと尊いもので、宇宙の大生命そのものが私たちの命なのだと教えてくださっています。お互いさまに、命を深く見つめていくことがとても大事です。