立正佼成会 庭野日鑛会長 10月の法話から

10月15日に大聖堂で行われた式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋しました。(文責在編集部)

「自分」を探求しよう

私たちは、なかなか「自分」というものが分かりません。自分がどんなふうに大自然、神さま、仏さまによってつくられているか、どのように生まれてきて、どんな能力があるか、どんなことができるかが分からないわけです。

一方で、大自然、神さま、仏さまは「一物(いちぶつ)といえども粗末にはつくっていない」といわれます。ですから、何物も粗末に考えないで、大切に考える、ものを深く知ることが肝要であり、あらゆる学問、宗教や道徳なども全て、ものを大切に考えることから始まると教えられています。

人間は「万物の霊長」といわれていますから、私たち自身が、いかに力がない、徳がないと思っていても、真面目に反省し、修行したならば、どんな素質や能力があるか、それがいつ、どんなお役に立つかは計り知ることができないというのです。

私たちはなかなか自らを開発することや、自分の力を知ることができません。しかし、そうしたことを教えて頂くと、徳がないとか力がないとか言っていないで、どんどん自分を深めて物事を学んでいけば、自分の中にあるものが、人のお役に立っていくと言えるのです。

せっかく天から、大自然から、神さま、仏さまからいろいろなことを与えられて、そして親から生んで頂いたわけであります。親から与えられた自分自身をいかに磨くか、いかにお役に立てるようにするかが、私たちの一生で最も真剣になって努力しなくてはならない大切なことです。「自分」というものを粗末にしないで探求していく、精進していくことが大事なのです。

誕生日と法華経

母はよく、お客さまがみえた時に、名前や住所を書いてもらって、さらに「生年月日はいつですか」と言って、必ず誕生日と法華経の「品(ほん)」とを照らし合わせて話をしていました。

私の誕生日は3月20日ですので、私の場合は二十番(妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十)です。「あなたは、二十番をしっかりと読み込む」、あるいは「しっかりものにすることが大事だ」と言っておりました。私も若い頃は「そんな馬鹿なことはあるか」と思っていました。けれども、今になって考えてみますと、それも大切なことかなと感じます。

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