立正佼成会 庭野日鑛会長 1、2月の法話から

1、2月に大聖堂で行われた式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋しました。(文責在編集部)

「燈明」「省心」

今年、書き納めにした『燈明』『省心(せいしん)』が、聖壇上に出ております。今年は法燈継承から30年に当たり、今年の書き初めがちょうど30回目になります。

『燈明』は、神仏に供える燈火(とうか)、御灯(みあかし)です。仏教的には「自灯明・法灯明」であり、他に頼らず、自らを依りどころとし、正しい教えを依りどころとするという意味があります。

それからもう一つは、『省心』です。心を省(かえり)みるという意味です。コロナ禍の中で、私たちは、いままでのことをいろいろと省みることが大事だと思います。一番省みなければならないのは、自分の心です。心を省みることを通して、コロナ禍の時、またこれから、どういうふうに生きていくのか、生きていかなければならないのかを考える――それが『省心』です。

お正月やお盆などに、故郷(ふるさと)に帰ります。この「帰省」も「省」の字が使われています。辞書を引くと、帰省には「故郷に帰って、父母の安否を問う」という意味が最初に出てきます。帰省とは、故郷に帰り、いろいろとご馳走(ちそう)になったり、遊んだりすることでなく、本来は「父母の安否を問う」ことが一番大事であると、『省心』という言葉を通して分からせて頂きました。

「省」には、心を省みるということのほかに、物事を「省(はぶ)く」という意味があります。私たちは、日頃しなくてもよいことをして、時間やお金を無駄に使っていることがたくさんあります。『省心』とは、自分を省みることと、物事を省くことです。そして、本当にしなければならないことにしっかりと力を入れていくことも含まれます。

そのような意味で、この二つの言葉はとても大事であると受け取っています。
(1月7日)

修行と同時に生まれる仏の心

道元禅師は修行について、「修証一等(しゅしょういっとう)」といわれています。「修行することと、悟ることは一つなのだ」「修行しなければ悟りも得られない。そして、修行をしたら、そこに悟りは現れる」という意味です。

日本の祖師方の母山は比叡山であります。道元禅師はそこで学ばれて、人間は本来、仏だと習われたそうです。そして、仏であるならば修行しなくてもいいのではないかと、疑問を持たれたというのです。そこで、一所懸命に修行されて、「修証一等」であると気づかれました。

人は本来、仏であるけれども、修行しなければ、証せられないし、悟れない存在でもあります。道元禅師は禅宗ですから、座るということに尽きると受け取られたわけです。自分が座ることが悟りと一つなのだというのです。「座るという行をした時が、証の時である」「行の中に証がある」「座って、しばらく修行してから悟るのではなく、座ったら即悟りがあり、証がある」――そうした意味を「修証一等」として教えられているのです。

このことを、私たちは本当に大事にしなければなりません。「即是道場(そくぜどうじょう)」とは、日常の生活が修行ということですが、日頃、何げなくしている一つ一つが、人さまのためになされている時は、すでに仏と同じ心、慈悲の心になっているのです。「修証一等」を深く味わいますと、本当に有り難く受け取ることができます。

私たちには、貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)があるから、いくら修行しても、仏にはなれないというようなことを言います。そうでなく、何でもいいからひと手間、人さまのためになることをして、そして喜ばれたら、もうその時が、仏と一つなのです。たくさん修行をして、大きな悟りを得たら、それで終わりということではありません。ますます行じないではいられなくなるのが、「修証一等」です。
(1月7日)

いま、居るところが寂光土

「即是道場」を突き詰めていくと、結局、「娑婆即寂光土(しゃばそくじゃっこうど)」となります。「いま、居るところが、仏教では本来、寂光土なのだ。それに気づきなさい」というのが、この即是道場のもとにあります。

私たちは日頃、娑婆世界だから、困難な問題がいっぱいあって、大変だと思っています。しかし、この娑婆世界こそが、即寂光土なのだと受け取れることが、人間として最も有り難く、大事なことです。
(1月15日)

生かされていることを自覚する

「いのち」を捉えていくと、自分の力で生きているとはとても言えない――そんな気がしてなりません。大きく言えば、地球上に生きる人間は、太陽なしには生きられないのです。

さらにもっと足元を見てみれば、水や空気を断たれたら、すぐに私たちのいのちが危険にさらされてしまいます。そういう大切なものを、私たちは、ほとんどただ同然で使わせて頂いています。空気を吸い、水を飲み、太陽の光を浴びていながら、普段はそれにほとんど感謝する心もなく、当たり前だと思って生きています。

昔の方は、「お天道さまのおかげさまで生きている」と感謝し、毎日、お日様を有り難く拝んでいました。そういう心が、生きていく上では大切です。太陽、水、空気、そうした私たちに一番大切なものを忘れないで、有り難く感謝のできる人間になることが、幸せのもとになります。私たちは普段、そうしたことをないがしろにしているとつくづくと感じます。
(2月1日)

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