年頭法話 立正佼成会会長 庭野日鑛

自分より先に人さまを救いたいと思う心は、本来、誰にも具わっている

WCRPの「第10回世界大会」が開催された国際会議場「インゼルハレ」で(ドイツ・リンダウ)

では、具体的にどうすることが仏の教えに適(かな)うことなのでしょう。

本会は、法華経を所依の経典としています。そして、法華経の教えの中心は、「菩薩行」です。

自分が悟りを得たいのと同時に、他の人々をも救いたいという心を起こした人が「菩薩」です。その心をどこにおいても忘れずに精進することが「菩薩行」であります。身近な言葉で表現すれば、仏の教えを学び、身につけて、慈しみ思いやる心を発揮(はっき)することです。

「自(みずか)ら未(いま)だ度(わた)ることを得ざるに先(ま)ず他を度(わた)す」という言葉があります。自分が悟ろうとするよりも先に、他の人々に悟ってもらうような願いを抱いて実践しなさいということです。このことが、菩薩行の尊いところとされています。

私たちは、まず自分が救われないと、人さまを救うことができないと考えがちです。自分のことで精いっぱいで、他の人のことなど考えられないという人もいるかもしれません。

しかし、自分より先に人さまを救いたいと思う心は、大変な修行を積まなければ得られない心の働きではなく、本来、誰にも具(そな)わっている心です。

自分自身が迷ったり、悩んだりしていると、他の人の苦しみ、悲しみがよく分かり、深く共感できます。「本当に気の毒だ」「何とかしてあげたい」という気持ちが自然と湧(わ)き起こります。そして、自分のことは後回しにして、手を差し伸べるのです。

特に母親は、子供が川に落ちたとしたなら、自分が泳げようと泳げまいと、まず川に飛び込むに違いありません。常識的には「泳げないなら助けられない」と考えるはずですが、わが子を救いたい一心で、川に身を投じるのです。

そもそも人間は、一人ひとり表面的には異なりますが、心の奥底(おくそこ)にある本性(ほんしょう)は、一つです。誰もが、「生き甲斐(がい)のある人生を送りたい」「幸せになりたい」と願っています。そして、いがみ合ってばかりいるのではなく、みんなと仲良くしたいと心から望んでいます。

ただそのことは、漫然(まんぜん)と暮らしていたのでは実現しません。だからこそ私たちは、仏の教えを正しく会得(えとく)し、それを自分の日常生活と照らし合わせて考え、このことを絶えず繰り返すことを生き方の基本としているのです。

仏道には限りがなく、これで終わりということはありません。少しは分かったような気持ちになっても、何かあると、自己中心的な心が現れて、腹を立てたり、言い返したりしてしまいます。その都度、反省し、自分を見つめ直し、新たな気持ちを起こして、毎日毎日、一瞬一瞬を大事に生きていく。それが、私たちの精進といえるでしょう。

「即是道場」――生きていくことそのものが修行であるという自覚を持って、今年も一所懸命、精進してまいりましょう。