立正佼成会 庭野日鑛会長 11月の法話から
菩薩とは
お互いさま、自分を振り返ってみると、誰もが強い「自我」を持っています。その「自我」を何とか破折(はせつ)して、みんなと仲良くしていける人間になりたいと思わない人はいません。
仏さまの教えを頂いて、あらゆることが有り難く感じられ、感謝のできる自分になっていく。さらには、自分が感謝の心を持つことができたという一つの悟りを、今度は人さまにも語りかけて、その人が救われていくように願い、触れ合っていく。こうしたことが大切です。
「自分が悟りを得たい」ということを、仏教では「自利(じり)」と教えています。「他の人も救いたい」ということは「利他(りた)」であり、他の人にご利益(りやく)を与えたいとの意味です。「自利」と「利他」、二つの心が一つになることを「菩提心(ぼだいしん)」と言います。その菩提心を起こして修行している人が「菩薩」です。
ですから、私たちが本当に感謝ができて、さらに人さまに対しても「『有り難い』『おかげさま』という心になりますよ」とお伝えしていくことが、菩提心を持った菩薩のあり方です。そのことを「修行」と言います。
(11月1日)
普回向の精神
私たちは読経供養の終わりに、「願わくは此(こ)の功徳を以(もっ)て 普(あまね)く一切に及ぼし 我等と衆生と 皆共に佛道を成(じょう)ぜん」という「普回向(ふえこう)」を唱えます。これは、法華経の菩薩の精神をもっとも簡明に表す大事なものです。
「普回向」では、自分一人の悟りや解脱を問題にしていません。法華経の功徳は、自分のためのものではなく、世のため人のためのものであると教えています。つまり、「願わくは、全ての衆生と共に成仏したい」というのが普回向の精神です。
ですから、現代的な表現にすると、宮沢賢治が残している有名な言葉「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」になると思います。普回向には、これと同じ精神が込められているのです。
(11月15日)