立正佼成会 庭野日鑛会長 7月の法話から
いのちは、どれも天下一品
以前、池上本門寺の貫首(かんじゅ)さまと名刺交換した際に、頂いた名刺の裏にとても印象に残る言葉が載っておりました。
花の美しさに序列はない、人間を点数で評価するのはやめよう
「花の美しさ」とは、蓮とか月下美人とか百合、桜、梅といった個別の花だけについて言っているのではなく、いのちという意味を込めて言っておられるわけです。いのちとは皆、尊いもので、本来、序列がないわけですが、例えば学校では点数を付けて人を評価します。そうしたことはやめましょうとおっしゃっているのです。
また花には、いろいろな色や香りのするものがあります。そうした花を見て感動するのは、とても大事なことです。人間は美しいものをいっぱい見た方が良いともいわれます。しかし、その時に点数を付けて評価してはいけない、つまりいのちを差別してはいけないというのも大事なことです。
私たちには一人ひとり、個性を持った顔があります。類のない世界に、類のないたった一つの顔を一人ひとりが持っています。ですから、比べることはないわけですし、皆が天下一品なのです。
花といえば、日本では桜が代表的ですが、すみれのように小さい花も美しいものです。この世にはいろいろな花があり、そのいのちの尊さにまったく序列はありません。そうしたことを心に留めながら精進させて頂きたいと思います。
(7月10日)
全てが不思議
ある僧侶が「如何なるか是れ奇特の事」と尋ねたのに対し、その師匠である百丈和尚は「独坐大雄峰」と答えたといわれています。どういうことかというと、「珍しいこと、特別なこと、不思議なこととはどういうことですか?」と尋ねたのに対し、百丈和尚が「わしが一人、この大雄の峰に座っていることだ」と答えたというのです。つまり、百丈和尚は大雄山という山で修行されていたわけですが、「そこに、わしが座っておることが珍しいこと、特別なこと、不思議なことだ」と言われたわけです。
これを私たちの生活に当てはめてみると、珍しいこと、特別なこと、不思議なこととは、「ここに自分が生きていること、お互いさまに生きていること」と言えます。
いのちがあるということは、不思議で、有り難いことだと仏さまは教えられています。私たちが、こうしてお互いさまに大聖堂に集っていることを、珍しい、特別な、不思議なことであると受け取ると、それぞれのいのちが活性化していくと思うのです。
(7月21日)