立正佼成会 庭野日鑛会長 5月の法話から

画・茨木 祥之

法を打ち立てることがあってこそ

日蓮ご聖人のお言葉があります。

飢へて食(じき)を願ひ、渇(かつ)して水をしたふが如(ごと)く、恋しき人を見たきが如く、病に薬を頼むが如く、みめかたち良き人、紅白粉(べにおしろい)をつくるが如く、法華経には信心を致させ給へ。さなくしては後悔あるべし。

私たちは、おなかがすいたら食べ物が欲しい、のどが渇いたら水が欲しい、恋人に会いたいとも思います。女性は朝起きて顔を洗い、紅をつけて、おしろいを塗ることを毎日します。男性も髭(ひげ)を剃り、髪を整えます。

おなかがすいたから食べたい、のどが渇いたから飲みたい、恋しき人に会いたい――これは、本能的と言えるものです。水を飲むように、あるいは空気を補給するように、自然にするのが信心だと日蓮ご聖人はいわれています。

つい私たちは、「人から勧められてやっている」「やらされている」といった受け取り方をしがちですが、本当の信心とは、水を飲むように、空気を補給するようにするものであるというお諭しが、ここに込められているわけです。本当に大切な言葉として、私は受け取らせて頂いています。

日蓮ご聖人は、有名な『立正安国論』を遺(のこ)されました。「立正安国」という言葉から、私たちは、安国――国を安らかにすることが目的のように受け取りがちです。一方、「立正安国」の「立正」とは、私たち一人ひとりが、正しい法を自分の心に打ち立てることであり、このことがまずあって、初めて国が安泰になっていくといわれています。人間の心の中に、正法、法華経を打ち立てる「立正」が、とても大事なのです。

つい私たちは、国を平和にする、安らかにすることが大事だから、一人ひとりが正法に立っていかなければならないと受け取るのですが、まず一人ひとりの心に正法を打ち立てることがあって初めて、安国――国が安らかになる。そうしたことが、ここに教えられているのです。
(5月15日)

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